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自己肯定は誰のために必要か

自己肯定は誰のために必要か

その答えは
周囲の人にために必要

自分のためではなく人のために必要
それが私の結論である。

私は自己肯定感が低い。低いと思うのは3つの事実からである。

1つは「自分なんて」「私には無理」とよく思ってきたからである。
ここまでの人生で苦労して積んできた経験・知恵がなく、年をとればとるほど、積み重ねてこなかったがために将来が狭まっていく気がした。もう手遅れ、今更特別な人にはなれない。とありとあらゆるタイミングで思ってきた。

例えば、今有難いことに仕事を続けている。しかし、経験・能力があってそれをもって転職もできる。ということはない。そこそこお役にはたっているとは思うが、専門的な見地はない。主婦の友達のように毎日料理を作ってきたわけではなく、こだわりもなかったので料理上手ではない。趣味があっても、長年やっているからといって上手いわけではなく、やっとスタートラインに立ったかな、というところでだいたい満足して終える。

よって、いざという時に私は積んできたものがないということで自信がなくなる。「私には無理」が発動してしまう。元旦那さんが浮気した時も、私は何てちっぽけで、価値のない人なんだと自己否定をしていた。

2つ目は「嫌われるのが怖い」という心理から、本心をなかなか言えないところ。当たり障りないことを言って、機嫌をとって、伝えたいことには蓋をする。そのうち伝えたいことすらなかったことになり、何も思わない考えない感じない自分になってしまう。

例えばボランティアで20歳前後の若者に会った時、ものすごく身構えてしまい、なんと言ってあげるといいだろうかばかり考えてしまい、私はこう思う、こんな経験があるということを伝いようには考えが及ばない。たまに自分の意見をいっても空回りしてしまう。自然さがない。ただでさえ年齢の差があるのに踏み込めない壁を自らつくってしまう。元旦那さんの機嫌が悪くなった時もそうだ。何をどう対応していいか分からず何もなかったように知らんぷりしてしまっていた。人とのかかわり方に自信がないのである。「怒らない」「やさしい」というと聞こえがいいが、相手には本心を言わない上辺だけの人と思われるだろう。

最後は自分に「軸」がないこと。私は人の意見に左右される。強く言われればそうかなと思うし、違うと思っても軸がブレ自分の主張を説明することができず退散してしまう。それと同時に「なんでもいい」というこだわりのなさも自分がつまらない人だと感じる要因である。

私ははっとした。
ある人が、出会いアプリを始めようとした時(それは恋愛系ではなく同じ趣味、お茶飲み友達をつのるアプリとのことでした)、自分自身はあまり趣味がないが…他の人の自己紹介で、何でも好きです。何でも話し合わせられます。の幅広い人や、自分と同じようにあまり趣味がないと明言している人には連絡する気にならなかったという。興味を惹かれるのは何かが好きで、それについて楽しそうに、押しつけがましくなく、けど熱い気持ちがある自己紹介の人に目が留まる。と思ったそう。

なるほど!
確かに!

自分なんてダメです。やこだわりなく何でもいいです。という自己肯定感が低い私が流れていってしまいそうな壺である。魅力をださないといけないところで、なにが得なのか自己否定して人を惹きつけることができないでいる。自分を棚に上げて、自分だってそういう方に私も目が留まらない。

元旦那さんだって、私がびくびく、ごめんごめんと言っていたことにうんざりしていただろう。それよりも納得感のあるブレない自分の意見を伝えることができれば、相手も理解してくれるかもしれない。相手を責めず、ただ私はこう感じたとさらりと言えばよかったのではないか。

「私自己肯定感低いので」を盾にして、自分を守り、言い訳して、そっとしておいてのオーラをだしていた。自分はそれでいいが周囲はどう思っていただろう。

自己肯定感高い、いやフラットでもいい、そんな自分でいれた方が周囲は安心するのではないだろうか。居心地がいいのではないだろうか。
周囲のためにも自己肯定感はあげないといけないなと思った次第です。自己肯定感が低いのは単なるじぶんじぶんじぶんと内に意識がいっているからなんだなとやけに納得したのです。

とはいえ、1つ不安なことがある。自己肯定感が高い人として友人2名が頭に浮かぶ。その人を傍から見ていると、「自分大好き」「人の意見を聞かない」「プライド高い」という印象を受ける。私はその2人を嫌いではない。実力も伴っていて、非の打ちどころがない(すべて本人の自己申告)ように思う。

実際私は自己肯定感が低いのに、どこから出てくるか分からない自分の自信をもってガンガン主張するスイッチがある。私は間違っていないという頑固なところがある。頑固さと自己肯定が高いとが、ごちゃごちゃしてしまい、上手く区別をつけられない。

難しい。

我が道をいく友達からは頑固の印象は受けない。感じるのは、周囲はそこまで思っていなさそうな反応を自分では褒められたと心底思っていてそれを公言する。計算なのか、計算ではないのか。そしてなんといっても説明上手。周囲を説得させる隠し玉をたくさんもっている。「うーん、だったらそうだね」と納得してしまう。周りから固めて自分がどう素晴らしいか立証していく達人だ。

ひとまずの結論。
1.自己肯定感は周囲の人のためにも高い方がいい。その方が壁がなくピーンと張った緊張感ある雰囲気がない。結果人を惹きつける。
2.暴走プライド高高人にならないためには、自分が高いと思うがために人を低く考えたり、人を攻撃しない。対人で発揮するものではない。マイペースに自分はこのままに何も足さない。外部からの刺激で変わらない。
3.一目置かれるには、説明上手になる。それが自分の自信になる。

説明上手になるは私の2024年の目標の1つである。自分OKにするための1つの手段だと確信している。それには練習あるのみなのだが…こうやって文章で書くことは好きだけど、口で説明する練習ってなかなかできないのよね。さて、年末までにクリアできるか、また報告します。

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