明日が来ますように

仕事を終え、明日の予定を確認する。
あ〜また会議詰めだ。

行きたかったイベント、来月あるじゃん。
でも来月忙しそうだし、またにするか。

今年の夏は海に一度も行けなかったな。
来年は行こう。


明日も、来月も、来年も、当たり前に生きている。
そう思っている人がほとんどだと思う。

私は、そうは思わない。
そうは思わずに生きている、と言った方が正しいかもしれない。

これは決してネガティブな表現ではない。
人生をなるべく悔い無く生きるための、理念だ。


大学3年の春休み。
アルバイトをしていた私に、ゼミの先輩から連絡が来た。
「聞いたかな、〇〇のこと」
それは私の親友のことだった。
なんのことですか、と聞くと、直接言うからバイト上がったら教えてと言われた。

なんだろう。
今すぐ言えないような内容......怪我?入院?そんなことで急に連絡してくるだろうか。まさか行方不明とか?あとで電話してみようか。一昨日もLINEしたし。

色々考えながらバイトを終えた。

会いにきた先輩は、私の顔を困ったように見た。

「あのね、落ち着いて聞いてね。彼ね、亡くなったの」

事実は意外にもすんなり頭に入ってきたが、
体は言うことを聞かず、私は人目も憚らず取り乱した。

3日後に会う予定だった。
最近できた彼女の話を根掘り葉掘り聞くつもりだった。
これから一緒に、ゼミを担っていくはずだった。

それから数日。毎日泥のように過ごし、母に引き摺られながら礼服を買い、いつの間にか葬儀が終わった。

気づくと、日常が戻ってこようとしていた。

おかしいと思った。
なぜ何事もなかったように私は三食ご飯を食べてお風呂に入り眠っているんだろう。
なぜ学校やバイトは始まるんだろう。
なぜ明日はやってくるんだろう。

友人がいなくなっても私の人生は続いてしまう。

流されるように日々を過ごし、ゼミには新入生が入ってきた。彼のいない空間に違和感を持つはずがない新入生たちを見て、目が覚めたような気がした。


ああ、この子たちは明日を信じているんだ。
何も変わらない明日が必ずやってくると信じている。

明日が突然なくなる人がいる。
世界からいなくなってしまう人がいる。
分かっていても、他人事でしかない。
明日は来ると、そう思い込んでいる。

そんな人たちに私が伝えられることは、

明日を信じすぎるな。

伝えたいことは、今しか伝えられないかもしれない。
やりたいことは、今しかできないかもしれない。
今度、次、来年は、来ないかもしれない。

残酷だ。
自分で言っていて、なんて残酷かと思う。

それでも、伝えたい。
これを読んだ人が、少しでも後悔を残さずに大事な人と生きられるように。

これは、死に限った話ではない。
病気、怪我、生活環境に関わること全てにおいて言える。

明日を信じようとする気持ちは否定しない。
明日に希望を持つことは生きる上で必要だ。

でも、明日があると思い込むのは、天敵のいない人間のエゴだ。平和ボケしている日本人のエゴだ。

思い込むことと、信じることは違う。

あなたは、今日で人生が終わっても悔いは無いか?

明日を信じつつ今を大事にしよう。
明日から、ではなく、今から。

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