恋に悩んでも腹は減る
恋は盲目、とはよく言ったものだ。
これを思いついた方に賞状を贈りたい。
自分を見失う恋をしている人が何と多いことか。
そう、過去の私のことである。
求められたら断れない。
恋人がいるのがステータス。
別れるのは、振られるのは絶対にいやだ。
こういった間違いの原因が分かったのは、ずいぶん後になってからだ。
いわゆる自己肯定感というやつである。
自分の価値を相手に依存していた私は、嫌われる怖さ、ステータスを失う怖さ、自分が捨てられる怖さに立ち向かえずにいた。
プライドが高いから?嫌われたくないから?
いや、単純に、自分を大事にできていなかっただけだった。
外側の自分を飾り、人と比べて、コミュニティや見た目、恋人を、自分を測るものだと勘違いした。
内側の自分を無視し、ごまかし、嘘をついた。
それを変えてくれたのは、何だっただろう。誰だっただろう。
時間かもしれないし、ドラマや映画かもしれないし、友人かもしれないし、もしかすると母かもしれない。
自分が間違ってないと自信を持ってできることをして嫌われたら、もう価値観が合っていないということだ。
恋人がいなくたって私は私で、私の価値を決めるのは私だ。
自分から離れようとする人を繋ぎ止めようとするのは、時間の無駄だ。悲しみや傷つきはあったとしても。
人と離れるのは本当につらい。
特に、長い時間を共に過ごし、その人を深く知り、自分の近くにその人の欠片が散らばっているような時には、本当に時間を無駄にしたような気持ちになる。せっかく好きになって一緒に過ごしたのに、と思ってしまう。
でも、所詮恋というのは、人生のパートナー探しの旅だ。
好きの裏側にある見えない部分が、自分のそれと合わないことも当然ある。
旅は多くの人に出会う。先に進まなければそれは旅ではない。
人生は短い。
明日死んでもおかしくない刹那的な世界で、私たちは私たち自身の心と体を大切に、生きていられれば十分えらいのだ。
恋人と喧嘩しようが、別れようが、悲しくて寂しくて目を腫らして泣こうが、お腹は空くし時間は進む。
自分は、自分を大事にして日々生きていくことができればもうそれでいい。
アピールもプライドもマウントも、必要ない。
明日も美味しいご飯が食べれたら、十分幸せではないか。
何だか壮大な話になってしまったが、「生きてるだけでまるもうけ」と、明石家さんま氏の言葉を全人類にお伝えしたい。
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