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2021年1月の1本の電話が、20年勤めた会社を辞めるきっかけになった

 過去の出来事について書く時は、関わる人や場所に迷惑がかからぬようにプライバシーに配慮し時には一部脚色等しつつも、地名や時期についてだけは極力具体的な記載を心掛けている。
 けれど、北海道を離れると決めた最後の約10年間を過ごした街の名だけは、どんなエッセイにも書かずにいる。

現在の勤務先がある仙台市の夕焼け


 今は宮城県で暮らし、仙台市内の小さな民間企業で給排水設備の仕事をしている私だが、2021年の春までは、北海道のとあるインフラ系の建設会社に20年ほど勤めていた。

 2020年の春。
 その数年前に札幌の本社からの異動希望を出した私は、北海道のオホーツク海側にある小さな街の支店で働いていた。
 そして、その街ではその年、関連業界各社のうち数社の女性の事務職員の苗字が同じになるというミラクルが起きていた。
 そのうちの一人が、私だった。


 時は、コロナ禍初期。
 年度が変わった時点では、まだ全国的な感染拡大には至っていなかった。けれど、北海道内だけはその年の2月に開催されたさっぽろ雪まつりに端を発したパンデミック真っ只中で、独自の非常事態宣言が出されていた。
 オホーツク海側のその小さな街は、爆発的な感染が起きていた札幌市からは300kmも離れていた。けれど、オホーツク地域の中核都市ゆえ札幌から出張等で訪れる人も多かった。
 とある業界の大きな催事をきっかけに、市内でもクラスターと呼ばれる集団感染が起きた。決してご高齢とは言えない、まだ働き盛りだった方が亡くなった。

 感染予防のため対面でのやり取りを極力減らすようになったこともあり、関連業界といえども現場以外で他社の方々と顔を合わせることはめったに無くなっていた。けれど、それまで以上に電話とメールでのやり取りが頻繁になったこともあり、互いの苗字が同じだとすぐに気づいた。

 「〇〇工事のアベですが、総務ご担当者様いらっしゃいますか?」
 「総務のアベです。いつもお世話になっております。」

 そんな会話を交わし、互いに笑った。

 あれは、年度が変わって間もない頃だったろうか。
 私宛に1枚のFAXが届いた。けれど、内容に思い当たる点がない。

 もしかして、と思った私は、ある人に電話をかけた。

 「はい、○○工事でございます」

 いつもの声。
 こちらが名乗ると、あ、アベさん!お世話になってまーす、と声が柔らかくなるのを聞いてほっとする。
 こちらこそお世話になってますと言ってから、私は周囲を見回し、少し声のトーンを抑えた。

 「実は今、××機器さんから私宛にFAXが届いたんですが、もしかしてこれ、アベさん宛なんじゃないかと思いまして・・・」

 一瞬の沈黙。そして、

 「・・・ああ~っ!きっと私です!内容、☆×◎▲☆☆彡×~◎の件ですよね?!」
 「それですっ!そちらにすぐ転送しますね!!」
 「本当に本っ当に申し訳ありません!××機器さんに注意しておきますねっ!!」

 ほっとした。
 いや、本当は絶対ダメなのだが(間違えた側には後日平謝りされた)、なんせ、同じ業界。
 しかも、会社名も似たり寄ったり。××工事だの××機器だの、分かりやすいといえば分かりやすいが、紛らわしいことこの上ない。
 そこに加えて事務担当者の苗字も同じとなれば、間違える側ばかりを責めるのも少々酷な話である。

 相手のアベさんも、恐らく私と同じ思いだったのだろう。
 その後も何度か間違いはあった。けれどその度、間違えた業者さんには次は間違えないでくださいねと注意しつつ、でも、他の人に聞かれて大事にはならぬようこっそりと「これ、多分そちら宛ですよね?」と書類をやり取りしあうようになった。
 妙な連帯感。
 それはそれで、楽しい毎日でもあった。



 「アベさんって、あんたかい?」

 パンデミックに翻弄されながら年を越した後の、1月のある日の出来事。
 電話の向こうの声は、高齢の男性のようだった。

「はい、私ですが、どちら様でしょうか?」

 私が訊ねても、相手は名乗らなかった。

「あんたさぁ、お子さんの小学校、もう授業は再開されてるの?」
「・・・は?」

 私に子供はいない。
 子供どころか、私の身体にはもう、子宮が無い。
 過去に結婚していた時期もあったが、その時の私はバツイチで独身だった。そしてその数年前、私は婦人科疾患で子宮全摘手術を受けていた。

 「・・・子供はおりませんが」
 「ウソつくなって!知ってんだよ!」


 こいつ何言ってんだ?と、正直思った。
 電話を切ろうかとも一瞬思ったが、相手が悪質なクレーマーだった場合、こちらから電話を切ると更に執拗な電話攻撃が始まり業務に支障をきたす可能性もある。
 私は無言のまま一呼吸おき、相手の言葉を待った。
 すると、

 「会社なんて来てていいのか?あんたの子供、〇〇小学校だろ?!動き回られたら迷惑なんだよ!!」


 その小学校名で、ピンときた。
 数週間前、その街の小学校で新型コロナウイルスの感染者が出たことが報じられていた。幸い軽症で、大きなクラスター等にもなっていないとニュースは伝えていた。

 そして、日頃から書類をやり取りしていた他社のアベさんには、小学生のお子さんがいた。


 「私には、子供はおりません。」

 私は極力冷静に、そう繰り返した。
 業務の電話ではないと察したのか、上司が立ち上がり、私の席に歩み寄ってきた。

 「アベさん、相手誰?オレが代わる。」

 日頃は温厚な上司が、厳しい声で言った。それは、周囲の社員が振り返るほど、やや大きな声だった。
 電話の向こうの男にも、その声が聞こえたのだろう。

「人違いだったらいいけど・・・子供、外に出すな!」

 バツが悪そうに捨て台詞を吐いて、電話はぶつりと切れた。

 「誰宛の電話だったの?」

 私の病気のこともよく知っていて日頃から気遣ってくれていた上司が、やや怒りをはらんだ表情で言う。

 「分かりません。誰かと間違えて、子供の学校で感染者が出てるのに会社に来るなって言いたかったみたいです。」

 他社のアベさんの名は、出さなかった。

 「クソ野郎だな。」

 吐き捨てるように上司は言った。心配顔で集まってきた他部署の社員達も、「自粛警察って、ホントにいるんだな」と口々に言いながら、怒りと驚きの入り混じった表情を浮かべつつも私を気遣ってくれた。
 大丈夫です、と極力明るく答えながら、私はアベさんのことを思っていた。

 「田舎、怖いっすわ」

 別の大きな支店から転勤してきたばかりのある人が、ぽつりと呟くように言った。
 「いやいや、田舎関係無いしょ」
 「いやぁ、やっぱ違いますよ。うちの母ちゃん、〇〇市で看護婦やってるんですけど、あそこで最初に感染した家族、村八分みたいになって、結局引っ越したって言ってましたよ。」
 〇〇市、というのも北海道の地方都市だったが、オホーツク海側のその街よりははるかに人口が多い街だった。
 「マジか。やべぇな〇〇市」
 「〇〇市でもそれなら、ここ、もっとやべぇよな。」
 「ってか、札幌ならこんな電話来ないしょ。」
 札幌から単身赴任している同僚が言うと皆が頷いた。
 「確かになぁ。札幌なら、学校分かんないもんな」
 「だろ?札幌に小学校なんぼある?どこの子がどの小学校なんて絶対分かんないって」
 「確かになぁ・・・」
 「やっぱ、こういうの、田舎怖ぇな」


 普段の私ならば、総務担当かつ衛生管理者という立場に加えてその街への強い愛着から「地元採用の子たちが傷つくんで、田舎とか言わないでください!」と注意していただろう。


 私がその街で暮らし始めたきっかけは、会社の人事異動に過ぎなかった。異動希望の際に、その支店を希望していたわけでも無かった。
 けれど、転勤という形で暮らし始めたその街は、私にとって、幼い頃の思い出がたくさんある街でもあった。
 その街には、私の祖父母と叔母が眠っていた。


 でも。

 その時の私は、同僚たちの会話を諫める気持ちにはなれなかった。




 電話をかけてきたあの男は、感染者が出た小学校に子供が通っている「父親」たちの会社にも、同じ電話をしていたのだろうか?
 小学校付近のすべての家族に電話したのだろうか?


 多分、そうではないだろう。


 どこでどんな噂が流れて、アベさんのお子さんの情報が漏れたのかは分からない。どこでどう話が混乱して、私宛への電話になったのかも確かめるすべはない。けれど、プライバシーを詮索し、わざわざ電話をかけてくるような者がいたことは事実だった。

 彼女たちはこの街で、ずっとこんな思いをしながら働いてきたんだろうか。
 子供を産んで育てて家庭を守りながら、仕事をもって、正社員として働き続けている。ただそれだけなのに、何か起きると、男性には浴びせられない罵声を浴びせられる。

 そんな中で、彼女たちはずっと生きてきたのか。
 そう思うと、怒りよりも、無力感を覚えた。




 その数か月後、私は50歳を前に、20年以上勤めたその会社を退職した。
 様々な出来事があっての決断だった。
 地元企業の方々からは、再就職先が決まっていないならうちに来ないか、というありがたいお言葉もいただいた。
 けれど、その街に残る気持ちにはなれなかった。


 アベさんには、あの日の電話の事は、最後まで伝えなかった。

仙台市の夕焼け


 あの街の名を、ここに書き記そうとは思わない。
 苦い記憶はあれど、それでも今もなお私にとってあの街は、かけがえのない場所だ。


 ダメなところは、いくつでも挙げられる。
 陰湿
 閉鎖的
 排他的
 幼い頃から変わらぬ上下関係を引き摺るが故にどこでも小さな不正が横行し、諌めるものが誰一人いないが故に浸透した悪名高いマルチ商法は市議会にまで影響を及ぼしていた。あれはおかしいよねと言う人もいたが、村八分を恐れてか誰も表立って声をあげようとはしない。
 美しい自然と暮らしやすい環境とが共存する小さな街が、にもかかわらず人口を減らし続けているその原因は、札幌という中心都市からの遠さばかりでは無かっただろう。自分自身も街を離れた今、あらためてそう思う。

 けれど、あの街で暮らしたことのない者やあの街に愛着を持たぬ者達から街を罵られれば、腹が立つ。

 陰湿な電話をかけてきたクソ野郎がいたのも事実なら、アベさんをはじめとした地元の人達が家庭と仕事とをしっかり両立させながら街のインフラを支えていたのもまた事実だ。
 老若男女問わず、あの街で私はカッコいい人達にたくさん会った。
 あの街で、黙々と働き人々の暮らしを守り続ける人達の矜持に触れた。


 多分これからも、私はあの街に対して愛憎半ばの思いを抱え続けてゆくのだろう。
 時折よみがえる苦い記憶を抱えながら。
 その一方で、あの街を田舎呼ばわりして嘲笑うような言葉には、舐めんなよと怒り、時には反論しながら。

 そうやって、私はこれからも、働いて生きていこうと思う。
 ここで生きていくと自分自身で決めた、この街で。








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