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たった1枚の写真が、それまでの信頼を消してしまうこともある

 今は私にとってももうひとつの実家となった石巻の家は、東日本大震災の津波で一階部分を消失する大規模半壊の被害を受けた。現在の義実家は、被災した建物を取り壊して土地全体を1メートル以上嵩上げした後、新たに立て直したものである。
 夫と付き合い始めたばかりの頃からそう聞かされていた私は、結婚することとなり初めて義実家に挨拶に行った際、家から海が全く見えない事に驚いた。

 こんなに海から離れた場所なのに?と。

 沿岸部ではあった。風向きによっては波音が聞こえて来る程度には海の近くだった。けれど、目の前が海というほどの近さではなく、河川からも遠い。
 この場所に、数メートルもの津波が押し寄せたとは。
 テレビでは見ていた。分かっていたつもりだった。けれど、実際に足を運びその地に立った時に込み上げてきた感情は、驚きとも悲しみとも怒りともつかない、ただ理不尽としか言いようのないものだった。現実は、想像を遥かに超えていた。

 震災当時、仙台市内で一人暮らしをしていた夫が震災後に初めて石巻の実家に帰ることが出来たのは、地震発生の5日後だったという。
 その時点ではまだ電話も繋がらず、義父母と連絡も取れずにいた夫は、ツイッター等で得られた通行可能な道路の情報を頼りに車で石巻に向かったのだという。
 やっと辿り着いた実家。夫の目には、それはまるで爆撃を受けた建物のように見えたという。


 けれど、その様子を記録した写真は、一枚も無い。

 「撮れなかった」
と、夫は言う。

 「保険とかの手続きもあるし、撮った方が良かったのかもしれない。
 でも、無理だった。
 あれは、撮れない。」

 13年経った今も、夫はそう言う。

 避難所での苦労話や仮設住宅での日々の思い出を明るく話してくれる義母も、被災した家のことだけは話さない。 
 義母が私に震災の日の出来事を話してくれたのは、嫁いでからこれまでにたった一度だけである。
 私が尋ねるのではなく義母みずから話してくれたのは、被災地から遠く離れた北海道から嫁いできた私にもあの日のことを伝えておきたいとの思いだったのかもしれない。
 地震が起きた時のこと。
 元漁師の義父が「大津波が来る!」と言って義母の手を引いてすぐに避難したこと。
 その時に避難をためらっていた近所の人達にもすぐに避難するよう声を掛けて、後で命の恩人だと感謝されたこと。
 避難先の小学校に着いてすぐに2階に上がるよう言われ、2階に行くとすぐに3階へと言われたこと。
 3階に上がる途中で下を振り返ったら、2階の廊下まで津波が来ていたこと。

 「次の日に、水が引いてから家を見に行ったんだ」

 そこまで話して、義母は黙り込んだ。

 「思い出したく無い」

 ぽつりと呟くようにそう言った時の義母は、いつもの明るい義母とは別人のように表情を失っていた。





 今年1月1日に発生した能登半島地震。
 震災発生当初は半島という地形もあり被災地への一般車両の往来は控えて欲しいとの呼び掛けがなされていたが、現在は一般車両の通行も可能となりボランティアの呼び掛けがなされるところまで復興が進んでいる。募金や様々な特産品の購入に励んではいるものの足を運ぶのはなかなか難しい遠方に暮らす者としては、ボランティアとして現地で直接復興支援にあたられている方々には敬意を抱く。

 けれど、そんなボランティアの方々の一部が、被災家屋の写真を無断でインターネット上にアップすることには不快感を覚える。

 どんなに熱心な活動報告を書いていても、そこに「被災家屋」の写真の数々があると、
「またか」
「所詮はこれが目的か」
と思ってしまう。


 家屋は、誰かの家だ。
 公共のものでは無い。
 勝手に写真を撮ってネット上に拡散していい訳がない。
 まして、被災しているならば、尚更。

 もしも、その家屋の所有者から「載せて欲しい」「伝えて欲しい」と言われたならば、しっかりとその旨を明記して欲しい。

 けれど、許可も取らずに無断で載せているならば、私はその人を軽蔑する。
 心底軽蔑する。
 ジャーナリスト気取りで災害を利用する人でなし、と思う。
 自己肯定感を高める道具として被災地を利用している最低の人間、と思う。




 復興支援に携わるはずの人が被災家屋の写真を許可なく拡散するのは、残念ながら、今に始まった事ではない。

 東日本大震災の後に発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で、福島県内には今もなお避難指示が解除されていない地域がある。
 福島県の沿岸地域を訪れるたびに避難指示が解除され賑わいを取り戻してゆく街の様子を目にすると嬉しくなる一方で、今もまだバリケードで通行止めになったままの通りを見れば胸が痛む。帰りたくても帰れない人達の思いは言葉に言い表せないものがあると思う。

 でも、だからといって無断で写真を撮ろうとは思わない。
 それは、思い出を踏み躙る行為でしかない。


 けれど、そこで暮らしていた人の思いに寄り添っているふりをしながら、家屋の写真を拡散し続ける人がいる。


 たった1枚の写真が、それまでの信頼を消してしまうこともある。
 同じ轍を踏まぬよう、自分自身も気をつけたいと思う。


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