あの日の自分の若気の至りに感謝したい
祝日だった月曜日。
休日出勤の夫にお弁当を渡してお見送りした後は、日頃なかなか手が回らないところの掃除や寝具の洗濯。
諸々片付けた後、一息入れようとお湯を沸かしながら久しぶりに取り出したのは、お気に入りのウェッジウッドの器だった。
大学時代、初めてのアルバイト代で買ったウェッジウッドのカップ&ソーサー。
今から30年以上前である。勿論、Made in England。
私が幼い日々を過ごした昭和の時代においては、食事の際に使用する様々な器にも民俗学者の柳田 國男が言うところの「ハレとケ」がしっかりと区別されていたように思う。毎日の食事の際に用いる皿や茶碗とは別に、これはお正月用、これはお客さんが来た時用、と、美しいカットグラスがガラス戸の食器棚に飾られている光景は親戚や友人宅でもよく目にしたものだし、柔らかな紙に包まれ立派な木箱や紙箱に収められた食器が戸棚の奥にしまわれていたのも決して我が家だけでは無かったと思う。
そんな、特別な日の器への憧れが高じて、私が自分だけの器が欲しいと思うようになったのは高校時代のことだっただろうか。
やがて大学に進学し向田邦子さんのエッセイを熱心に読むようになると、私は自分の好きな器を手に入れるということを、カッコいい女性の生き方の象徴のように思うようになっていった。今にして思えば、努力と才能で働く道を切り開いていった向田さんに対して申し訳ないような単純かつ軽率な発想で、恥ずかしいにも程がある。
けれど、30数年経った今、こうしてお気に入りのウェッジウッドでお茶を楽しむことが出来るのは、その単純かつ軽率さのおかげでもある。
当時、初めてのバイト代を手に、これからはお気に入りの器でお茶を飲みながら論文を書くんだと私が意気揚々と向かったのは、札幌駅近くのビルの中に出来たばかりの輸入食器店。ずらりと並んだ高級輸入食器の中でひと目惚れして買ってきたのが、このウェッジウッドのジャスパーウェア。それも、定番のウェッジウッド・ブルーではなくセージグリーンのカップ&ソーサーだった。
確か、一客8,000円ほどだったように記憶している。
大学卒業後、実家を出て一人暮らしを始めてからも、ウェッジウッドは度々私の気持ちを奮い立たせてくれた。毎日使うものではない。だからこそ、疲れを癒したり気持ちを切り替える時に大切なアイテムになっていった。
イギリスの陶磁器メーカーであるウェッジウッドは、2009年に経営破綻した。その後、買収により現在も社名は残っているが、その代表的なシリーズだったジャスパーウェアの多くは廃番となり、現在は入手困難となっている。
このセージグリーンのカップ&ソーサーも、今は生産されていないという。
あの日の自分の若気の至りに感謝したい。
本来の「ハレとケ」の思想でいえば、自宅で一人で過ごす時間は「ケ」に該当するのだろう。けれど、外で働くことが日常となっている今の自分にとっては、一人で家でゆっくり過ごす時間こそが「ハレ」なのではないか。
自分自身のために丁寧に入れた紅茶をお気に入りのウェッジウッドで味わいながら、そんなことを思った休日のひとときだった。
ちなみに昼食後のコーヒーは九谷焼。
岩手・陸前高田の「いわ井」さんで買ってきたミッフィーと九谷焼のコラボ商品は、日常の愛用品となっている。
好きなものに囲まれた暮らしは幸せだ。
特別な日も、日常も。
大切にしていこうと思う。
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