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両国国技館に行く前に、福知山と武道館の思い出を

※ このnoteは、2013年5月16日、プロレスラーの小橋建太選手が引退した5日後に私が以前のブログに書いていたものです。
今読み返すと拙い表現が多々ありますが、その時の気持ちそのままですので、誤変換等の一部訂正と加筆以外はそのまま掲載されていただきます。

私は今も、プロレスが大好きです。

今日は、両国に行ってきます。




平成11年8月28日
天気:快晴


札幌から新千歳空港へ。そこから飛行機で関空へ。
さらに関空から電車を乗り継ぎ乗り継ぎ・・・

乗り継ぐたびに、減ってゆく乗客。

すっげー行ってみたかった、初めて行く街。
この最高のタイミングでやっと行ける、初めて行く場所。

でも、だけど、ちょっと、心細いなぁ・・・

と、思いながら着いた終着駅。
前を歩く親子連れをふと見れば、小学校低学年くらいの男の子のリュックの横で揺れているのは
オレンジ色のタイツ姿のあの選手のキーホルダー。


わ~~~、地元だぁぁぁぁ~~~~~。


ホテルのロビーには、四方の壁に、大会ポスター。
チェックイン後にポスターを見てたら、フロントの方(やや年配の男性だった)が

「もしかして、プロレス見にいらしてくださったんですか?!」

と声をかけてくれた。
そうですと答えると、さっき書いたばかりの私の住所を二度見。
そして、

「遠いところわざわざ、小橋選手のために、ありがとうございます!!」

まるで親戚のように、深々と頭を下げられた。


ホテルに荷物を置いて、タクシーで体育館へ。
行き先を告げると、運転手さん、おもむろにこちらを振り向き、満面の笑みで

「お客さん!ボク、さっき小橋選手乗せたんですよ!そこ、さっきまで小橋選手が座ってたんですよ!!!」

「えええっ?!マジですか!!!」

思わずシートをさする私。
それから会場に着くまでの数分間、たっぷりとプロレス談義。
そして、街の観光案内もしてもらった。
明智光秀が領民から愛され慕われ今も尊敬されている立派なお殿様だったと聞いて、歴史の見方が変わったのもこの日のこと。


開場時刻よりも1時間以上前に到着した体育館には、すでに何人ものお客さん。
駐車場には、いつもの見慣れた大型バス。
入り口横にはついたて。その向こうには、会場外でトレーニングする笑顔の選手たち。

の中心には、プロレスラー・小橋建太選手。

ついたての隙間からトレーニングの様子を見ているファンに見せてくれるかのように始まったのは、ベイダー選手とのベンチプレス合戦。
ベイダーが追加したベンチプレスは、見るからに、ありえねー重さ。
すっげー。
でも、なんだかなんだか、楽しそう。


当時、全日本プロレスの週末大会では恒例になっていた選手との記念撮影会。
その日の選手は、もちろん地元出身の小橋。
撮ってもらった写真を後で見たら、小橋の二の腕と私の顔の大きさが同じ。


「明るく楽しく激しいプロレス」プラス「三沢光晴カラー」だった頃の全日本プロレス。
その日の大会も捨て試合無し。
丸藤選手のシングル初勝利、という思いがけない場面にも立ち会えた。
そしてメインのタッグマッチでもちろん小橋。
いい試合だった。
その日が小橋の地元での初勝利だった、というのは、あとで週プロを見て初めて知った。


翌朝。
チェックアウト後、ホテルの方に呼び止められた。

「良かったら、記念にどうぞ」

そう言って渡されたのは、昨日の大会のポスター。
貼らずにしまってあった分を、お土産にと、わざわざ。



いい思い出ばっかりだった、1泊2日。
H11.8.28. 京都・福知山
小橋建太(当時は小橋健太)選手の地元でのプロレス観戦。




あれから、いろんなことがあった。
あの頃は、まさか全日本が本当に分裂するなんて思いもしなかったし、その後、三沢選手があんな形で突然逝ってしまうなんて想像もしなかった。
たくさんの選手の怪我、病気、そして逝去。
辛いことも、聞きたくないゴシップも、たくさんあった。

それでも、なんだかんだでずっとプロレスファンでい続けているのは、小橋の存在があったからだと思う。




そんな小橋が、引退した。
H25.5.11.日本武道館。


武道館には行けなかったので、大会翌日、録画を見た。
何から何まで、小橋らしい大会だったんだな、と思った。
団体の枠もなんもかも関係なく、あれだけの人達が集まったのは、小橋の人柄と、これまでの歩みがあったからだと思う。
そして、
小橋は、最後まで最高のプロレスラーだった。


テンカウントの前のインタビュー

「引退試合が出来なかった三沢さん」

という言葉に、私の涙腺は崩壊した。




長い間、お疲れ様でした。

そして、プロレスの楽しさを教えてくれてありがとうございました。

小橋は引退しても、小橋が教えてくれたプロレスの楽しさ・おもしろさがあのリングの上にある限り、自分はプロレスファンでい続けようと思う。







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