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【フードエッセイ】女川のサンマ!

 昨夜の晩酌のお供は宮城県女川港で水揚げされたというサンマの天日寒風干しだった。

2匹入って298円からさらに2割引。安い。

 袋から取り出すと、我が家のグリルにギリギリ入るかどうかという立派な大きさだった。切れ目を入れるのを忘れてそのまま焼いたので弓なりに反ってしまったのだが、そのおかげで我が家にある一番長い皿にギリギリ乗ったので結果オーライとも言える。
 焼きたてのサンマと、今が旬の石巻産の縮みほうれん草のおひたし。そして、同じく今が旬の三陸産の生ワカメはさっと茹で、ツナとスナップエンドウを添え白ごまと味ぽん、マヨネーズをかけてサラダにした。

サンマ、反ってます。しかも皮が破裂してます・・・ごめんよ。

 「やっぱり干したのは美味えな。」

 夫がしみじみと呟く。

 「美味しいね。んで、ワタも美味い。」
 「んだな。ワタ美味ぇ。」
 「・・・いつもワタ全部取っちゃっててごめんね。」

 思わず謝る私。アニサキスが大きく騒がれるようになったここ数年、サンマはもちろん他の魚も鮮魚の状態で買ってきて調理する際には必ずワタを取るようにしていたのだ。しかし、久しぶりに食べるサンマのワタは、ほろ苦い甘味と旨味はたまらない美味しさである。

 「また干物買いに行くべ。」

 夫がにっこり笑って言う。今回のサンマは仙台市内のスーパーで買ったものだが、夫の実家が石巻ということもあり、女川町にはこれまでに何度も夫婦で出かけていた。そして、商業施設の外で干物にされている女川港水揚げの魚を買ってくるのが我が家の定番だった。
 また行こうねと話しながら、昨夜は宮城の海の幸と野菜に同じく宮城県産の日本酒を合わせ、ささやかながら幸せな地元晩酌を楽しんだ。




 他の宮城県内の沿岸地域同様、女川町もまた東日本大震災で壊滅的な被害を受けた街である。
 けれど、その一方で女川町は、他の市町村に先駆けて復興計画を定めた町としても知られている。


 震災後の町の歩みについては、2021年に全国町村会のウェブサイトにも詳細に記されているので一部抜粋引用させていただく。

 震災直後に行政(町職員)が被災者の捜索活動や避難所運営を行う中、民間側の産業界は『女川のまちは俺たちが守る』を旗印に、水産業や商工業などの業種の垣根を越えた民間の組織「女川町復興連絡協議会(FRK)」を立ち上げました。FRKの町商工会会長は、平成23年4月の設立総会時に「町の復興には10年も20年もかかるので、これらの復興の中心となるのは、若者世代。町の復興は責任世代となる30代、40代の若者に託す。還暦以上は口を出さず、側面支援に徹する(弾除けになる)」とのメッセージを伝えました。この時、町商工会会長は還暦を迎えていました。

 その後、FRKは民間独自の復興計画を策定して平成24年1月に町と議会に提出しました。この民間独自の復興計画は、①数十年に一度発生する津波に対しても浸水しないまち、②複数の避難道路の整備、③大人も子どもものびのび歩き、活動できるまちなどで、そのほとんどが女川町復興計画に盛り込まれ、復興まちづくり事業に大きな影響力を発揮していただきました。産業界を中心とし、町民と行政が一体的に復興まちづくりをけん引する「公民連携」はこうした流れの中で生まれていきました。

宮城県女川町/あたらしいスタートが世界一生まれる町へ - 全国町村会 (zck.or.jp)


 今の女川町には、美味しいものがあって、楽しい場所がある。
 大きなイベントが開催される際にはラジオで交通情報が流されるほどに多くの人々が集まるし、イベントが無くとも週末に商業施設を訪れた際にはいつも多くの人で賑わっているのを目にする。
 そして、女川町の様々な海産物や特産品が、仙台市内にもたくさん流通し販売されている。

 「普通」という言葉は人それぞれ基準が異なるので安易に使ってはいけないのかもしれないが、誤解を恐れずに言えば、私にとって女川は、「普通」に遊びに行きたい街であり、「普通」に買い物を楽しむ場所になっている。



 だから大丈夫、なんて、今、まだ厳しい状況の中にある方々に軽々しく言ってはいけないのかもしれない。

 でも、

今、まだ未来の見えない状況にいる方々にも、いつか必ず復興しますよ、と言いたい。
 女川をはじめ、あの時の被災地は今、たくさんの人で賑わってますよ。
 そして
 1月1日からずっと、忘れてませんよ、と言い続けたい。


 我が家には、今月末には、noteで石川県出身の方から教えていただいてお取り寄せした金沢の美味しいものが届く予定である。
 それをまたnoteで紹介するのを、私は今から楽しみにしている。


 微力ながら。

 でも

 忘れてないですよ。



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