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銀行で昔を思い出していました
昭和の銀行は、大きな町の中心部に必ずあって、都市銀行と言われる
銀行だけでもたくさんありました。
第一勧業銀行、大和銀行、あさひ銀行、太陽神戸銀行、三和銀行、住友銀行、三井銀行、三菱銀行、東京銀行、北海道拓殖銀行などなど、
僕のわかーい頃の横浜市中区(関内地区)でも、
思いつくだけこれくらいありました。地方銀行もふくめたら、もっともっとありました。
僕が幼少期から成人してしばらく横須賀の端っこに住んでいましたが
最寄駅の浦賀駅(京急でーす)近くに横浜銀行がありまして、
給与が振込みされるとそこで引き出していました。
まだコンビニなんてありませんし、
給与は、まあまあ銀行振り込みが一般的になってきましたが、
現金払いもまだあったころです。
母が銀行に行くことは滅多になかったので
父の給与は毎月入金になるものの、
引き出しには毎月行かず、節約してたまにしか
引き出さない。倹約の人だったと思います。
そんな親に育てられた僕は当然
親を反面教師にしてしまいました。
さて、銀行にあるお金を引き出すのは
1、窓口で払い戻す。これが一般的。
2、CDで引き出す、
(ATM ではありません、「CD」 キャッシュディスペンサー、現金自動引出機 です。引き出し専用機、預け入れはできません。)
それも、同じ銀行の本支店だけでしか使えないカード、
やがて、地方銀行であれば使えるようになりましたが、
今のようにほぼどこでも引き出しできる、預け入れできるようになるまでには、相当(20年くらい?)かかっています。
当時は、お金引き出すのはなんか後ろめたいことで、
CDコーナーって、支店に1台しかなくて
それも電話ボックスみたいな(電話ボックス知らない?)
小さな箱のようなスペースで操作する。
その機械も、もちろん液晶画面なんかなくて、
大きな電卓みたいな機械に、CDカードを差し込んで
電卓みたいなキーボードで金額を打って、暗証番号を打って
お金が出てくる。
(なんか後ろめたい気持ちになる雰囲気、自分のお金なのに^^;)
銀行の窓口は「○○様あ~○○様あ~いらっしゃいましたら3番窓口までお越しくださいませ~」
なんて感じで、銀行の制服着た女性行員が
感じよく対応しているし、預け入れしたら
最低でもポケットティッシュくれたし
定期預金なんかしたら、手提げ紙袋いっぱいの景品をくれたものでした。
その代わり引き出ししようとすると、
「恐れ入りますが、何かご入用なことが??」
なんて聞かれました。
あのころは、銀行はお金を預け入れるところで
引き出すところではなかったんですね~
だから、遊びたい盛りの僕は
銀行員の方へ説明するの面倒で
「どこでも引き出しできるフダ~」♪♪ の
☆彡CDカードを手に入れたわけです。
母親は言いましたね
「そんなろくでもないモノもって、なんに使うの!!」
(お金をおろすカードを持っただけでこのありさま(笑))
しかし、たしかにお金はたまりません。(笑)
今の常識いえばとんでもないですけど、
銀行は通帳造ると大喜びで景品もくれましたから、
僕みたいな社会人ぺーぺーでも、1000円だけでも
定期預金の口座作ったら
「手提げ袋いっぱいのお土産」get
お母さま名義で口座を作って頂けませんか??
いいですよ!(もちろん母の了解もハンコもない)
「持ちきれないくらいのお土産」♪♪ get
そんな時代でした。
だから、たまに銀行の言いなりに
口座作ったり、しょぼい定期造ってせしめた
お土産は、母に全部献上していました。
きっと母は、僕のことを
「倹約を常とした私の教育方針は間違っていなかった」
と思っていたでしょう。
僕は、あれ~♪♪・・・・・???
「おまけ」はたまる、しかーしお金はたまらない
っていう感じに育ってしまいましたー。
でも、しあわせだよ、おかあさん(及びおとおさん^^)
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