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人生の後半は水平移動しかできません

15年ほど前に、車に乗れない時期がありまして
自転車を購入し、半径50キロ圏内くらいの
用事や行きたいところは、ほぼ自転車で行く生活を
1年ほどしたことがあります。

自転車は100%人力のタイプで
少し頑張って、かっこいいやつを買い
それなりに気張って乗っていました。

そのとき気づきましたね、子供の頃も
自転車は乗っていたし、今更ですが
自転車は「停まりたくない」のだと、
100%人力で動いていると、自分の力で
あるいは坂道のエネルギーで得た速度という
貴重なエネルギ―を、消費(止まる)したくないと感じました。

だから、
「赤信号で止まれ」、「交差点で止まれ」 はもちろん当たり前のことですが
なんとか止まらないで通過したい。
そのためには歩道走ったらどうか?とか
一方通行逆走になるけど、別の道いけないか?とか、タイミングをずらして、青信号に交差点に着くように調節するとか
いろいろ考えて走ってました。

体力に余裕があるときは
まだ順法精神が働き、理性的に走るのですが
暑くて体力も失っていると、「停まる=冷却もなくなる」
走り始めの体力>巡行時の体力 が身に染みているので
楽な方に、行ってしまいがちになりました。

普段は自動車で
自転車の無法ぶりにあきれていた自分が
その時は、無法者を演じている。
これには「自分は弱いなー」と実感して、反省もしました。事故おこさなくて良かったです。

しかし
日本の道は、動力の無い(弱い)道路の利用者に安全のためと言いながら、面倒を押し付ける構造だとよく見えてきました。

歩道橋なんて、その最たるものだと思います、「道路を横断するのは危ないから、橋を作りました 安全の為ですから、階段はガマンしてください。エレベータをつける事ありますが、遠回りになります、 また、遅いのは我慢してください。安全のためです、
気に入らないなら、道路を直接渡るのが最速で一番楽ですが、 自己責任でお願いします」
と、その存在が語ってるみたい。

 動力のある乗り物が、遠回りするのが当たり前じゃないですか。
なんで、ランドセル背負った子供が、急な階段上り下り するんでしょうかね、ゆっくりしか歩けなくなった人や、免許返納した高齢者、近いと思ったスーパーまで歩いてみたら、じつは遠かったと知ります。重たい買い物のカートを引き、今まで健康なとき、或いは車で走っていた頃は通る事の無かった歩道橋のながーいスロープ。中には4人乗りくらいの狭いエレベータがある事もありますが、だいたい見え辛いところにあります。

道路や通路で思うのは
作り方を、「人は平らな所しか移動できない」と考えないとダメだ、ということ。
元気な人を基準にした構造物や法規は、今の暮らしに合わないと思いました。
横断歩道だって段差だらけだし、小走りで歩行者が渡る時間しか信号の時間がないところも未だにあります。
白線は滑るし😆

縦に動けるのは50まで
以降は平面でしか動けません。

わかるかなあ〜
わかんないだろうなあ〜
このフレーズ、誰か気づくかなあ(笑)
😆












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