私がピアノを続ける訳
初めに、少し重い話からします。私の親は所謂「独親」でした。多分今生きながらえれているのは、私に音楽があって、それが少しだけ、人よりも得意だったからです。
その方は、私の子供の頃こんな事をよく言っていました。「親に反対されたからやらなかった」と、私はそれを聴いて、この人の「逆張り」をすれば良いのだと思いました。
時は流れてうん10年、家を出て寮に住む機会を得ました。これもある種の「怪我の功名」です。そこにはキーボードがありました。
メロディを辞書の様に覚えている私にとっては格好のおもちゃでした。覚えているメロディを引くのが楽しみになりました。
ある時バンドを組みました。その中には、一人で宅録が出来るのではないか、というベーシスト(実は、ギターもキーボードもドラムもボーカルも出来るマルチプレイヤーでした)Nが居ました。彼は時折キーボードを弾いていたので、それにも感化されたかもしれません。
又時は流れて、ある事件をきっかけに、ある方と、意見の相違で仲違いになった時に、そうか、自作自演すれば良いのだと思いました。それが、かの大谷翔平に因んだ、楽器とボーカルの二刀流の始まりです。
話を昔に戻りますが、うちの実家は、昭和というよりは明治の価値観を悪い意味で引きずっていて、男子のするもの、女子のするものを、不文律で分けていたのです。私はその無言の圧力にいつも悩まされました。
今でこそ、actor、personと性別をあえて分けない様にしていますが、恐らく馬の耳に念仏なので、その方々は、そっとしておく事にします。
続けていてわかったのですが、私に足りない、色々な事を学べました。何で昔からやらなかったのだろうと思った位です。
というわけで、来月18日、土曜の晩上野アリエスで弾き語りをいたします。同じく、弾き語りが有名になりつつある、山岸笙子さんと一緒に。
https://ueno-aries.jimdofree.com
当日は、気持ちを込めて歌いたいと思います。