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ジャッジしない習慣術

この世界、この宇宙に良いも悪いも存在はしない。

まず、その大前提を理解した上で生きていくと、人間というのはいつも自分本位であって、全ては個としての自分、主観によって良い悪いを決めているだけとなる。

そうでないと言いたくなるかも知れないが、それなら何が良くて何が悪いのかを言葉にするとよくわかる。

結局は、私たち人間は、いつでもどこでも、出来事に対し、現象に対し、結果に対し、他者に対し、自分で勝手に良いか悪いかを決めて、それを裁こうとするのだ。

身近な例として挙げられるのは天候だ。

晴天と雨天に、良い悪いがあるだろうか?

自分の思う良い悪いというのは、宇宙の意思とは無関係のものであって、それはただ単純に


自分に都合が


良いか悪いか


というだけでしかないのだ。

これは、全てにおいてそうだと言える。

宇宙には、単なる現象しか存在しないからだ。

別にそのことにも良いも悪いもないのだけれど、その概念がある以上は、自分自身にも良いか悪いかの裁きが下り、そのうち苦しくなってしまう。

この良いか悪いかを判断せず、ジャッジせずに生きることが、自分の人生を楽にしてくれる。

この、許しが可能になると、途端に自分の関わる人たちとの関係性も楽になり、ジャッジしない自分に人が集まり、幸せなサイクルを生み出すことが出来るようになる。

では、どうすればジャッジしなくて済むのか。

過去に起こった出来事、どうにもならないことに酷く落ち込んだり、何度も思い出して嫌な気持ちになったりはしないだろうか?

それはどうしてなのか?

そこにも、良いか悪いかの判断があるからだ。

この、良いか悪いかばかりを考えてしまう思考から抜け出す方法が、たったひとつだけある。

それは、出来事や経験を「学び」に変えることだ。

過去に起こったこと、終わったことはどうにもならないが、それに対する解釈は、後からいくらでも変えられる。

いつまでも苦しんでしまう理由は、まだ自分の中で良いか悪いかだけで判断し、考え続け、「学び」へと昇華できていないからだ。

学びに変えたければ、失ったもの、出来なかったことなど、ネガティブなものに意識を向けないことだ。

そこから得たこと、それによって改善されたこと、そのかわりに出来たことを見つけ出してみるといい。

必ずそこに学びがあり、多くのものを得ているはずだ。

例えば、財産の全てを失い、自暴自棄になったとしても、そこから這い上がる時には、お金では買えない、もっと大切なものを得ることが出来たはずだ。

それは、全財産を失わなければわからなかったこと、経験出来なかったことばかりだ。

大金をはたいて、ホームレスになることは出来ないし、本当に生きることに危機感を覚えるようなタイミングで救ってくれた存在と、その感覚を買うことなど出来ない。

だからこそ、苦しむこと、不幸に思えることも、人生の中では「経験」という貴重な財産を得ていると言える。

この、内なる財産は、一生の宝となり、誰にも奪われることはない。

それらは全て、他の誰にも味わえない、得ることの出来ないことばかりだ。

こうした「学び」に気付くことで、どんなことが起こっても、自分の人生というのは愛おしい時間となる。

だとすると、この出来事に対し、経験したことの全てを学びに変えていけば、苦しむこともないし、常にポジティブで過ごすことが出来る。

私が考えた、ジャッジしない習慣術は以下

1日の終わりに、今日あったことを思い出してみる。

紙に書き出すのもいいし、頭で思い浮かべたり、誰かに話すのもいいだろう。

それらの出来事に対し、何を感じ、どのように思ったのかを整理していく。

確かに感じたものはきちんと感じておく。

次に、良いか悪いかを考えていないかを確認し、その自分に気付く。

そこで苦しい感覚があれば、思考を整理して学びへと変換していく。

どうすれば良かったのか?

次からどうするのか?

全ての出来事を、良いか悪いかではなく、この「学び」に整理することが出来たら、このワークは終了する。

これを毎日やっておけば、過去はどんどん学びに変わっていき、意識は過去に飛びにくくなる。

こうして過去を短いサイクルで書き換えていけば、今日を全力で生きて、今を生きることが可能になるはずだ。

また、これを反復することで、思考の癖も変わっていき、ジャッジしなくなる自分も形成出来る。


この記事を書いてみて気付いたこと。

読み進めるあなたも気付いたこと。


おそらくそれは同じだと思われる。


そう。


日記を書くこと、ジャーナルを書くことで人生が好転していくというワークになるのだ。

だから、毎日振り返ることが大切なんだということを学んだ、気付いた今日。

過去に対してのジャッジ、その過去との時間が離れれば離れるほど苦しくなり、その呪縛から逃れられなくなり、さらに苦しむ時間は長引いていく。

それは、先週かもしれないし、昨年かもしれないし。

何年も前かも知れないし、幼少期かも知れない。

そこにある「何か」を癒し、脱出し、今を幸せに生きるためには、「学び」に変えるしかないのだ。

この、過去との距離が短いほど、今へと帰還しやすいため、そのスパンは短く、サイクルは早いほうがいい。

だからこそ、毎日が大切なんだなと、私の中で深く理解した。

良いか悪いかのジャッジから抜け出せない人は、それらを書き出してみて、「学び」へと変換していくことに挑戦してみてほしい。

もちろん、私も毎日取り組もうと思う。

それに慣れたら、どんどんサイクルを短くしていって、習慣化にも挑戦してみるといいかもしれない。

ジャーナリングを習慣にしてしまえば、きっと人生は豊かになり、どこへ行っても何をやっても楽しく幸せに生きることが出来ると私は思います。

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