見出し画像

[小説] 『鱗』ウロコ〜16話〜18話。計画は狂って行く速度を増した。


        16話

 「加賀見さん、MRIの結果ですが、脳はいたって綺麗でした良かったですね、ただ一番なって欲しく無い状況が、血栓が動いている状態です、血栓はかなりプルプルしています、それは今にも飛ぶかの勢いですね」

「そうですか、あれですか、飛ぶ可能性があるんですかね?」

「益々ますます危険な状況です……」

「祈りが・足らない・ですかね」


 軽く笑ってみた。本当の所、後にも先にも現代医学の最高峰を持ってしても、この薬しか方法が無いと言うのだ。


『本当だろうか……』


 そんな時だった『加賀見さん、如何ですか?』久しぶりの沢井さんなのだ、そう氷枕の沢井さん。

あの時は熱が、40度に迫る勢いだったし、それも今では、懐古しつつある秘密兵器を、思い浮かべていた。


『加賀見さん、また今日から絶対安静です』

 またしても車椅子の出番だ。

 やっとの思いで歩く事ができる様になったと言うのに……。人生ゲームを思い出していた。

 其れはてっきり日本のゲームだと思っていたが、オリジナルと言うのか原型と言うのか、実は1960年代にアメリカで発売されたボードゲームらしい。

 出た目のマスに書かれた言葉に右往左往し、紙のお金を挟んだ事が懐かしく思い出される。


『振り出しに戻れ!』と、そうマスに言われた気がした。


「加賀見さん!、身体をお拭きしましょうか」

「はい、はい、お願い・します」


 気分転換に効果抜群なのだ、とにかく生き返るのだ、又頑張れるのである。そろそろ自分でも拭けるのだが、やはり色々なケーブル問題があったりするので、そこは、やはり来てもらった方が的確なのだろう、柔らかく暖かい源泉掛け流しのタオルが、潤いを与えてくれていた。


 栃木県の那須に良くゴルフに行っていた時期がある。

 目的の一つに温泉があるからで、北は美瑛の白金温泉や、印象深いのが旭岳の中腹にある5つの源泉。

 携帯の電波が入らずに、其れは其れで世間から暫し離れる事が出来たのが思い出深く、いつ迄経っても体のポカポカが薄れない、温泉成分のエネルギーを感じられる。南は南で熊本の満願寺温泉や、嬉野辺りトロンとした湯や炭酸のシュワツとした長湯温泉やら色々な温泉に浸つかった事を思い出す。


 那須の温泉では鹿の湯がある奥、小ぶりな湯船はマジで熱いのだ。

 46、7度はあるだろうか、相当湯もみをして何とか入るも、余りの熱さに飛び出して、真っ赤に火照った体を、井戸水で冷やしていた。

 其の後はチョロチョロ溢れるお湯でも、十分堪能していた。


『また色々な温泉とか、ゴルフとか行けるのかな……』

『あの鮨はもう食べられないのか』

『あのワインとか日本酒は……』

『そもそも生きて行けるのか……』完全にそっちの方面に意識が向いていたし、

『もう何も出来なくなるのかな……』正直、相当不甲斐ない姿になっていた。


 3科による治療は僅かながらも少なからず進んでいた。溶かす事は決まったものの、心許と無い状況と治療は何処までも続いていた。


 「加賀見さん、肺炎の方はもう心配ないと思いますよ」

「まだ点々と残っている影があるのですが、これはいわゆる瘡蓋(かさぶた)みたいな物ですね」

「瘡蓋、ですか?、あの……瘡蓋?」

「切り傷でも良くある、治る過程で出来る事と同じなので、良い傾向ですよ!」

「これからその瘡蓋も徐々に消えて行きますよ、もうお薬も要らないと思います」

「そうなんですか」

「一旦、肺炎の治療は、これで終わったと思って頂いても結構です」

「後は自然治癒で良いと思います」

「そうなんだ……、本当ですか、良かったなー」


 何と言っても、この騒動の始まりが肺炎だったので、そもそも肺炎を発症していなかったら、本当に死んでいたかも知れない。

 妙な話だが肺炎には、深く感謝をしなくてはいけない、何しろ、肺炎が命を救ってくれたのだ。

 順調に進んでいると思われる、巨大血栓を溶かす為の治療は、一種類の服薬のみと言う、極めて分かり易い方法が選択された。

 実際問題、他には死んじゃう手術しか無い訳で、本当に溶けるのかどうか、仮に溶けなかった場合はどうなるのか、難解な迷路の中で右往左往するしか無く、この先に未来はあるか。


        17話


 『六本木の蕎麦屋』の泪から年が開けた1989年、満を時して梶浦健は自らの会社、梶浦興産を設立した。

 前々から銀行にいた時の後輩が、紹介させて欲しい人物がいるのでと、毎日の様に連絡があって、其れなりに急せかされていたのだ。


 名前をヘンリー・ウォンと言う。香港の投資家だと言う。

 仕方がなく会ってみると、瞬間的に、ウマが合う気がして、何度か一緒に食事をしたり、酒を酌くみ交わしたりしと、何故だか自然と嵌はまるのだ。意気投合するとはこんな感じなのだろうか。

 日本はこれから良いマーケットになるから、一緒に稼ごうと言うのだ。


 そんな流れの中で、投資顧問会社の設立にも参加することとなり、香港に本社を置く、ヘンリー・ウォン・インヴェストメント・オフィイスの、日本支社長と言う船も、同時に漕ぎ出す事になり、大海の小舟がタンカーか豪華客船になるのか、

 一方で泥の船は沈み行く運命さだめなのか、やはり流れて行くしか無かったのだろう。


 睡眠時間はほぼゼロに近い状態が続き、昼夜問わず土日も無かった。

 本当に何かに取り憑つかれたように、一心不乱に働いていた。

 頭の中もパンパンの状態で、片時も放さずに持ち歩いていた大きい鞄、それは昭和の匂いが残る映画の場面とでも言うのか、大先生が看護婦と共に往診の一式を持ち歩く、見るからに頑丈そうなカバンとも重なり、その総てが詰まっていたのだ。


 その甲斐あってか、初年度の決算から税金の心配をすると言う嬉しい悲鳴を上げると、銀行時代、財務省の査察の際には毎回、矢面やおもてに立ち対応していた経験が物を言った。

 所得税・法人税・地方税など、新たに施行された消費税も含め、締めて約1億3千万の税金を一括納付と言う離れ業を、やってのけたのだ。


 梶浦興産として儲かった税金は、ヘンリー・ウォンの財布で支払うと言う。いつしか、そんな構図になっていたのもあり、頗(すこぶ)る順調だった。

 世の中で皆が良く口にする言葉の様に、そう順風満帆である事は、自分自身が一番感じていたと思う。


 時折自宅に戻る事が出来ると、未だ陽の馥郁(ふくいく)たる残夜の布団で、万歳三唱と更なる飛躍を深く心に刻むと、言葉無き叫びを何度も何度も繰り返していた。


 ある日、五反田支店の前に勤務していた、新宿時代の支店長から連絡で、本部の常務に成ると言う、余り前例の無い人事があり、お祝いを兼ねて会食の連絡を入れると、それはもう嬉しそうな声が電話口から聞こえた。


「いやー、参ったねー、ありがとう!」

「支店長おめでとうございます!」

「え?、梶浦くん常務だよ常務!」

「あっ、すいません常務でしたね……、常務!」


 麻布十番あにある鮨屋に一席設けると、常連とまでは言わない物の、いつも感心していた。

 掃除が行き届いた店内、全体は黒柿と腰から下は大谷石で成り、赤酢のシャリとガリの味に塩気が香る、凛子な佇まいから鮨の品格が伺える。


 魚も捌かれ自ら喜び勇むような包丁の数々、砥石の清(きよげ)な音が聴こえ、香り立つようなカウンター、その上の古伊万里のお手塩に肌理(きめ)の詰まった吉野の箸、腰掛けには糊(のり)の効いた白いカバーが眩しく並ぶ。

 新しい事には無頓着な親爺は、暖簾を揚げて彼此40年は過ぎている、滅多な事では顔を出す事の無い鮨屋だ。


 地方議員が突然、組閣の一員として抜擢されて、雛壇に並んで大蔵大臣おおくらだいじんになるような話、到底有ありえない人事なのだ。

 それは年末ジャンボが2年続けて当選したかの様な、満面の笑顔になり、そう言いながらお銚子を袴(はかま)に傾ると、奥で女将さんが、アルミのちろりで付けていた。


「今日はねアオリイカが良いね!それと三浦のさー、松葉の鯖なんだけど、締めずに生が良いね、綺麗な脂が乗ってるから旨いよ!」

「そうですか、両方下さい、お願いします。」


「常務、何ですか?それは」


 其れなりの話だったのか、銀行の名前が確しかと入った、大きめの茶封筒を取り出す。

「資料は一通り入っているから、良かったら乗っかって欲しいんだ」

「有難う御座います、常務、付かぬ事を伺いますけど」

「何だい?」

「現状は、他の開発業者はいるんですか?」

「どうだろうねー、居ないと思うけどなー、詳しく聞いとくよ!」


 何でも損害保険会社が御殿場に計画していたゴルフ場が、頓挫とんざしたらしく、二進も三進にっちもさっちも行かない状況なのだと、マイナス分は70億程度の話だったが、コースの造成は既に80%位は進み、完成まであと少しの所までは来ていたと言うのだ。

 直感的に、それ程時間は掛からないだろと、そう感じた梶浦健は、即行動に移した。


 早速、現地調査と諸々の状況の把握を始めると、現状で土地に纏まつわる購入代金と、造成工事の半金は済んでいた事も判り、当初の計画ではゆったりとした、ボールの所までカートで入れるアメリカンコースと、欧米に良くあるログハウス様式の住宅も、一緒に作って販売する計画になっていた。

 何せ土地だけはやたら広く、そのエリアに隣接する様な物は一切無い。

 イメージ通り、上手く造成すれば、何とか行けそうな感じがしていた。

 梶浦健は直ぐに常務に連絡を取ると、『まだ頭の中ですが、色々と削そぎ落としたので、早速、具体的な話をお願いします』


 十番の鮨屋から、僅か10日で描えがいた絵がそこに鈍い光を放っていた。

 その絵は18ホールだった計画を、根底から覆くつがえし36ホールにすると言う計画に変わっていた。

 住宅予定地だった土地と新規購入の土地を合わせて、もう一つゴルフ場も作ると言のだ。

 既にA コースの方は完成が近いので、大至急Bコースの設計に入ると、ヘンリー・ウォンにも話した所、フロリダに友達がいるからデザインを頼んだらどうかと、梶浦健は直ぐにアポを取り、フロリダにスッ飛んで行った。


 それから三ヶ月後には相当量の広告を打つ所まで漕こぎつけると、更にA コースを無料で出来る視察プレーまでも敢行して、派手な文句で勝負に出たのだ。

 結論から話すと、人の波が押し寄せたのだ。

 36ホールの会員権が手に入ると言う宣伝効果は、ズバリ的中した。

 而も人の波が次の波を呑み込む様に、予定していた3000人の枠からそれは大きくはみ出し、何と一桁上の位くらいに達していたのだ、正に奇跡を通り越していると感じていた、つまり神が舞い降りた。


 その一連の流れの中でも重要な役割を担っているのが、パンフレットの存在であり、ライバル会社もこぞってゴージャス且つ中身のある、パンフレットを制作していたが、正直どこの会社も拮抗している中で、梶浦の作るパンフレットは、一味違う異彩を放っていた。


 その辺りを全面的に支えている印刷会社が、大田区を斜めに走っている、目蒲線の矢口渡(やぐちのわたし)にあり、2階部分が住居になっている町工場だ。其れこそ、表には出るような事も無く、二人だけで営んでいた。腕はピカイチで、他社のパンフレットと見比べると、一目瞭然で、その工場の主人あるじが佐伯である。

 佐伯との接点は、元の銀行にたまたま行った時に遡さかのぼる。


 当時、後輩が担当していた会社で、はっきり言うと、裁判所に破産申請の一歩手前で、再建の道はまずもって無理だろうと、既に自宅も競売にかけられている様な状況でも、2代目と言う事で銀行との取引は長きに渡り続いていた。

 御殿場の打ち合わせで、度々銀行に行った際に、佐伯も来る予定が重なったのだ。

 ほぼ運命的な出会いだったのかも知れない。


 後輩が印刷の事で取り持ったのが何かの縁で、結果、風前の灯火(ともしび)だった佐伯を、梶浦が救済する事で、会社は存続することになったのだ。理由の一つに佐伯の持つ印刷の腕、特にインクを上手に盛り上げる繊細な技術には目を見張るものがあり、時々工場に来ては子供の様に、目をキラキラさせていた。


 梶浦の持ち歩く鞄の中身が、重みを増していた。

 時には、仕事の依頼や相談を無礼にも断る事が多々あり、売り切れ気味のスケジュールが3年、いや5年先まで埋まっている状態で、御殿場での成功が拍車をかけていたし、大袈裟絵では無く、業界ではちょっとした有名人だった。


 梶浦には一人娘の香かおると言う、おとなしい性格の中学2年生がいて、高校受験が控えている中、女房からも毎日の様に急かされていた。

 とは言え中々時間が作れずにいると、相談を諦あきらめたのか、塾やら家庭教師など自ら率先して行動を起こした結果、名門私立とまでは行かないが、高校・大学の一貫校に無事合格したのだ。


 それに伴ない自宅の引っ越しも考え、中古だが、日当たりがとても良い一軒家があり、場所は世田谷線の、松陰神社の駅から徒歩5分の場所に、居(きょ)を構える事にした。


 忙しさ故、自宅でゆっくり過ごす様な事も無かったし、帰る事すら侭ままならない、ビジネスホテルや、カプセルホテルの方が、我が家の様でもあり、逃げ場が無いで良かった。


 河村房子とは仕事に追われながらも、三ヶ月みつきに一度位だろうか、三ノ輪のアパートで過ごす、偽りの無い希望と、慈(いつくしみ)の心が溜飲を下さげ、梶浦健には日々弥増いやます6畳一間と房子への想いが、必ずや実りを以って我が物にするのだと、往年の下宿時代、擦(すれ)た畳の中に見た、二十歳(はたち)の我に重ね合わせていたのだ。


 その後、梶浦と日本経済は益々膨れ上がり、ふと銀行時代の後輩に声を掛けると、求めていた答えとは全然違う方角から、意外な言葉が返って来た。

 どうやら今の副支店長が、不審な行動をしているので、大変危険だと言うのだ。

 前の副支店長は、名古屋支店の支店長になり、千種(ちぐさ)のワンルームで単身赴任中だと、調べてみると、後輩が案じていた通り、相当マズイ状況に陥っていたのだ。


 不正融資、而もその裏で、相当額のバックも受けていたのである。

 融資自体は支店決済の範囲と、金額的には誰も判らなかったと言うのだが、しかし件数が多かったので段々と目立って来たらしく、来月に本部のチェックで完全にバレるだろうと語ると、無担保で7社、トータルで35件にもなっているらしく、合計で約15億の不正融資が露呈したのだ。


 実際の所、もっと前に発覚していた方が良かったのかも知れないのだが、それは年齢的には一つ下の副支店長、ズバリ尋ねる事にした。

 そこは同じ釜の飯を食った者同士の見えない絆とでも言うのか、腹を割って話そうと思っていたし、他人事とは思えずにいたのも確かだった。

 川沿いの焼き鳥屋に来て貰うと、やや草臥(くたび)れた表情に、ワイシャツの黄ばみが目立つと、二人だけで話した、そう誰も入れずに二人だけで。


 結局の所とても真面目な人間なのだろう、真面目過ぎる故の事故とでも言うのか、先物取引に、骨の髄までハマって、もう取り返しが効かない所まで来ての故の、不正融資への流れになったのだ。

 既にキックバックを幾ら重ねても、焼け石に水の状況に、ビールも焼き鳥も全く手を付けずにいると、寂然の彼方から、もう観念したかの表情で、大量の汗と涙を拭きながら、少し緩く泡の失せたビールを一気に飲み干した。

 神田支店の時に既に不正融資は始まっていたと言う。

 ゴルフ会員権が全ての始まりだったと。プレーは全くしないのだが一つだけ、栃木県にホームコースを持っていたらしく、年会費を払うのも癪(しゃく)に触っていたくらいで、ある日神田にある線路下の居酒屋で、隣り合わせたご同輩と少しだけゴルフの話をした時の事。


「その栃木のコース、今度男子の試合が開かれる事が、最近決まったんですよ!」

「そうなんですか……」

「恐らく会員権も嘸さぞかし、値が上がっていると思いますよ」

 テーブルの下の新聞やら漫画に紛れ、ゴルフ雑誌を見つけると、確かに値上がりしていた。

 買った時は確か250万、今現在、売りの欄には900万、買いの欄には800万。


「明日にでも、お売りに出すのであれば、指定の場所に現金を持参します」

「証券とネーム・プレートを忘れずにお持ち下さい」

「如何されますか?」

「そうなんですか。何処でも良いんですか?」


 随分物騒だとも感じたが、まーそんな物なのかと、やや乱暴気味な感覚を覚え、神田駅から須田町に向かう大通りの途中にある、ビジネスホテルで会う事となった。

「コーヒーでも飲みますか?」

 喫茶コーナーは比較的混み合っていたが、タイミング良くトイレの前の席が空くと、入れ替わるように腰を下ろした。


「名刺を差し出しながら、どうします?数えます?」

「いや大丈夫ですよ、信用していますので……」

「それでは大きいのだけ確認して下さい」

「1、2、3、…、8束、はい確かにあります」


 本来持っている、お金の価値観やら意味合いが、何か音を立てて崩れたのか、まるでそれは子供の頃に擦りむいた膝小僧を、オキシドールで消毒した時に、ジュワッと溢れ出る細かな白い泡の様にも見えた。


「他を買うんですか?」

「いや、今は別に……」

「いつでもご連絡下さい、宜しくお願い致します」

 雑にするつもりは無かったが、少しそんな風に、証券とプレートを渡すと、大きく膨らんだカバンは、随分格好が悪かったのだろう、道ゆく人の怪訝(けげん)な視線を感じていた。


 銀行には色々な話が舞い込んで来る、中には本当に儲かる話もある、以前から米と豪州ドルの相場で、随分儲けている一部の人間がいるのを聞いていた。


 そんな時の突然の800万は手頃なサイズだったらしく、1ドル220円辺りで推移していた米ドル、下がる理由は何処にも無かったと感じていたのだ。


 一歩踏み出すと一瞬の出来事で、嬉しいより戸惑いを隠せなかったと言うのだ、僅か1週間で、400万の利益を生み出す結果に完全に酔っていた。


『締めて、1200万の現金』


        18話


 今現在、治療の中心はチーム『循環器』である。

『呼吸器』で始まり途中から『心臓外科』は介入する事で巨大血栓に勇敢にも戦いを挑み、且かつ溶かすと言う事実は、紛れもない薬と言う名の戦士なのだ、それ以外の何者でも無い。


 其の容姿はブルーと白で包まれた『カプセル4錠』に総てを託している。

 入院生活も早3週間に迫ろうとしていた、岡田先生は一つの関頭(かんとう)を模索している様にも見えた、それは『カプセル4錠』の服用を始めて5日が過ぎた頃だったと思う。


 エコー検査の予約表がベッドの上のテーブルに置かれていた、通常のエコー検査と違い、心臓の直ぐ近く、相当エグい所まで良く判る、経食道(けいしょくどう)エコーだ。

 水道についている様なホースを、一回り太くした感じのゴム製の管を、口から入れるのだが、いくら麻酔が効いて和らいでいても、そこそこ辛い物があり、途切れる事無き吐き気と、唾液に塗まみれていた。


「いやー、マジで・ツライ・ですね————」


「頑張って下さい」

多分、今までの人生の中で最も過酷な検査と言って良いだろうと感じていた、地獄だった7本の採血など、比べ物にならないそんな経食道エコー。


「全身麻酔の方が良かったですかね」


「えー、マジ・で・すか、そ、そんな————」


 入院したての頃に、勝手に思っていた事がある。


『1週間位で退院出来るかもな』

 てんでおかしな話だったからで、そこは既にベテランの域に達しながらも、まさかまさかの3週間なのである、そんな事を思い浮かべていると、岡田先生が、若い岩崎先生と話しながら2人で部屋に入って来た。

 どうやら会心の笑顔とは行かないまでも、充実した笑顔とでも言うのか、達成感を含んだ良い顔、そう美味しいお寿司か焼肉を食べた後のような、満足した顔で話し始めた。


「加賀見さん、経食道けいしょくどうエコーの結果が出ました!」

「ど、どうで・すかね?」

「良かったですね!、血栓30%位は溶けていました!」

「マ、マジで・すか?」

「本当ですよ、間違い無く溶けています」


「やった————、溶けた・のか————バンザ————イ」


「加賀見さん、まだ30%位ですから、まだプルプルしている所はありますからね」

「いや・はい・そうですね・判って・います……」

「加賀見さん、未だ未だ道半みちなかばですからね」


 10でも20でも良かったのだ。溶けたと言う事実が、この3週間を救ってくれた。

 中々前に進まない治療にイライラし、調味料的水分補給や絶食やら、奈落の底につき落とされたり、沢山の医師達に囲まれながらも、先が見え無い憂惧ゆうぐたる日々。

 それでも『カプセル4錠』に活路を見い出しながら、何故病気を発症したのか、思い当たる節など何処にあるのか、結果オーライでも精一杯生きて行くのだ。

 所詮人間なんて失敗の上に成り立つ喜びがあり、歯痒さの連続だ。振り返れば振り返るほど、空虚な道のりなのかも知れない、それでも何でも嬉しかった。

 色々あった中で、その夜は消灯と同時に眠りに就いていた。


 その声は、暗がりの中でもはっきりと感じ取れ、一体何時だろうと思い、枕元のスマホは1時45分。

 緊急入院なのだろう、まー至って良くある光景で、振り返れば自分だってそうだった。


『篠崎さん、大丈夫ですか?今、お薬持って来ますから』

『大丈夫だー、こんなもん!』

 恐らく70〜80歳位だろうか、其れなりのご年齢だが張った声で、奥さんと娘さんは『お父さん、また、明日来るからね!』と、言い残して部屋を後にした。


『お————いお前!、お————い!、お————い!、お————い、お前————』

 常軌を逸した声が聞こえ、ナースコールのボタンを押している音を重なり、スマホは3時05分。


『何だよー、もー』こちらまで嫌な気分にさせると、看護師が大至急飛んで来た。


「帰る———!帰るんだ———!、このままタクシーに乗せろ————」

「篠崎さん!無茶言わないで下さい!」

「そうですよ!、篠崎さん!」

 2人の看護師は、宥なだめるように話をするも全く通じないのだ。


『電話だ!電話を持って来い!、早く電話を持って来い!』


 篠崎さんの怒号にも近い暴走した声はやがて叫びに変わっていた。

 まるで工事現場で怒鳴り散らしている親方が、若い衆に向かって『違うだろー、そうじゃない、何度言ったら判るんだ————もーまったくお前は————』そう、それはかなり大声なのだ、午前3時に聴く声では決して無い。


 正確な数値は知り得ないとしても、病室は30デシベル位だろう、昼帯なら40デシか、どうだろう多分篠崎さんの声は、100デシ以上の大声なのだ。


「加賀見さん、すいませんね」

「いやいや、でもちょっとねー、ヤバイでしょ!、いくら何でも……」

『何やってんだ————、電話!早く持って来————い!』


『ここで、入院費を払うって言ってんだろう!、そこの引き出しにあるから』

『篠崎さん!、熱を下げるお薬ですから!ちょっと、チクッとしますよ!』


 どうやら薬が効いたのだろか、台風20号は過ぎ去り、又しばし眠りに就く事が出来た。


 『ガシャーン、ガシャーン、ザザッ、ガシャーン、ザザッ、ガシャーン』


『何?何?なによー?どうした?』

 どうやら、篠崎さん、我々入院患者の大切なアイテムの一つである、ベッドと平行の机を足で蹴り倒したのか、机が勢い良くカーテンから飛び出していた。


『え————、どうなってんの?』


 又100デシ超の声が部屋に轟いていた。

 朝の血圧と体温計の時間に、あまりにも大きな音が聞こえたのか、看護師がナースセンターから慌てて飛んで来ると、その手には見るからに頑丈な感じの、WBCかWBAだか判らないが、その伝統と威厳を誇るチャンピオン・ベルトにも似た、厚さ1センチはあろうかのベルトを、優しくバシバシと手足を固定していた。


『何だよ————————————、帰る————————————』


 とうとうその声は、200デシも超えているだろうか。


『タクシーはどうした——?、そこにいるのか————?』


『電話はどうした————?』



『ガシャン、ガシャン、ガシャン』



『————タクシー・電話・支払い』篠崎さんは叫び続けていた。


 篠崎さんはどんな人生を送ってきたのだろうか。篠崎さんの咆哮(ほうこう)、2日の嵐が吹き荒れた病室には、睡眠不足と疲労の色が残されていた。

 篠崎さんにしても、自らの意思がある行動では決して無いのだろう。ご本人も辛いし、家族も辛い。そんな厳しい現実を強いられているのかも知れず、僅か2日間と言えども、同じ部屋にいただけで、何だろうか、他人とは思えない。


『何だよ————、うるせーな————』

と、思った自分に愚かさを感じていた。


 篠崎が去り、またいつもの4人部屋の空気が戻ると、お決まりの21時の消灯を迎え当直の看護師の巡回が始まる。

 薄れゆく疲労の中で、部屋の明かりが消える前に眠りに就いていた。

 そこには篠崎さんの余韻は、全くと言っていい程残っては居ない。

 過去と現実を結ぶ時間ときの狭間はざまで、また一つ、往年の記憶が溶け出していた。


        19話につづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?