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#3 変化する妻の身体

さかのぼって少し前のことになりますが…。

2019年の10月〜11月頃のことを書いていきます。

妊娠がわかってから1ヶ月ほど経っていた頃。それまでとなんら変哲のない日常を送っていたぼくでしたが、妻の身体は刻々と変化していました。
身体の変化といっても、この変化は困ったことに非常に分かりにくいもので、視覚的にお腹がポーンと大きくなるとか、鼻水出たり熱が出たりでいかにも体調悪そう、みたいなビジュアル的にわかりやすいものではないのです。
妻の内側でひっそりと起こっていた目には見えない変化でした。

「こころでみなくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」 By 星の王子様

見た目はなに一つ変わらない妻でしたが、次第にシンドそうにしていることが多くなり、夜はいつもぐったりするようになりました。そのうち、鞄にマタニティマークをつけて出勤するようになり、いつの間にか、通勤で使っていた電車がアップグレードされて、座席指定の特別車両になっていました。気が付くと、朝方トイレで嗚咽する妻の声で目が覚めるようになり、いよいよぼくも実感として変化を感じ取るようになりました。

子供が生まれたら生活が変わるものと漠然と思っていましたが、既に生活の変化が始まっていることに気が付いたわけです。
はじめてエコー写真で見た時、豆粒みたいだったヤツが、徐々に徐々に、ぼくらを、父へと、母へと近づけていました。

妻曰く、「妊娠してすぐは、皆気を使ってくれるが、次第にそうでなくなる。しかし、妊婦はずっとシンドイもの」なんだそう。
確かに、妊娠がわかった直後は、めちゃくちゃ喜び、気を遣い、あれやこれやと思いを馳せたもんです。でも、特に目立った変化はすぐには起こらないものだから、ときに妻が妊婦だということを忘れて「なんでそんなに不機嫌なんだろ?」と思ってしまうこともありました。

ぼくたち夫婦が喧嘩をすることはほとんどありませんが、二人ともムカついた時には顔にも態度にも出る方です。妻は、ホルモンバランスの変化によって終始イライラし、眠気の頻度が多くなり、においに敏感になり、ツワリに苦しむ日々。そんなことは露知らず、妻に対し通常運転で「あれ、不機嫌?」「ダラダラしてる?」「唐揚げ食っちゃいかんの?なんで?!」と何故かイライラし始めるわたし。この時期の夫婦は、すれ違いも起こりやすくなるようで、油断していると家の中は地雷だらけ。一触即発の危機です。

そこで先回りした妻。先手を打って出てきました。
得意気に差し出してきたのは、出産・育児の情報誌『たまごクラブ』に付属されていた「お父さんになるための準備」的な小冊子。これをよんでおけと指南してきたのです。

この小冊子をぼくの言葉で表現するなら「妻の逆鱗に触れないための手引き書」。先代の父親たちが犯してきた失敗事例集であり、タブー発言、タブー行為が列挙されていました。こんなものを渡してくるあたり、なかなかのやり手です。

様々なエピソードがある中でも一番印象的だったのは、無神経なご主人が、妊娠して体毛が濃くなってきた奥さんに「毛濃くなってきた?」と訊いて逆鱗に触れたという話。なるほど。この先、そんな地雷も潜んでいるのね、と予習教材として非常に勉強になったもんです。

数々の父親たちの失敗を目にしていくうち、「親」という存在へと向かっていく夫婦が、これまで見たことも経験もしたことのない現実の中で、みんな手探りで子育ての準備をしていくんだなぁと感じました。その先には、もっと想像がつかないような、育児の苦労や面白さがあるような気がします。

この小冊子のおかげで、これまでのところ、ぼくは妻の逆鱗に触れずになんとか生きながらえています。知識は大事ですね。しかし、あくまで、ぼくたち夫婦はこの小冊子を、面白い読み物というか、ちょっとしたネタ本のように目を通しました。妻も本気でこれを読み込めと渡してきたわけではないでしょう。妻をもっといたわれ!!!というメッセージがあったことは間違い無いでしょうが、あくまで参考程度に、といった感じです。

正直なところ、こういった育児系の記事や雑誌などを目にすると、どこか暗黙のうちに「父親」という存在が説教されているような気がして狼狽することもあります。父親は、あまり育児には関わらないという前提で書かれた表現だったり、どことなく育児への参加を促すような内容だったり。こんなことが一般的に書かれるくらい、世の父親は非協力的なのかな?と思うことしきりです。いまから育児をやろうと意気込んでいるのに、ちゃんとやりなさいよと諭されるのは、「(親)宿題やりなさい!/(子)今やるところなんだから言わないで!」的な気分です。

まぁともあれ、この時期の妻は本当にキツそうでした。二人で話し合って子供を持とう決めたのに、肉体的なダメージはぼくにはゼロ。出産までの苦しみや痛みは、すべて、妻が背負うことになります。ぼくはせいぜいその周辺で、声をかけたり、写真を撮ったり、家事をしたり、荷物運んだりする程度。

以前、父親になった友人が言っていました。
出産のとき男はなにもできない、無力だと。
妻は命をかけて赤ちゃんを産みます。毎日のようにシンドイ思いをして耐えてきたものが報われて、母子ともに無事に出産できることを願うばかりです。
出産の時、父親は無力かもしれませんが、可能な限り自分にできることを尽くして、誕生の時を待ちたいと思います。

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