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スペースは組織内組織?


最近、Twitterスペースに対して学会員系アカウントの方が「組織内組織では?」とか、「組織内組織の温床となる」というご意見が見られます。
そこで、自らも「さねじゅの白熱スペース教室」主催者として、意見と考察を述べたいと思います。

組織内組織とは?

まずこの言葉の前提を考えます。言葉の定義だけで言うと、「組織の中で独自の組織体系を作る事」となります。創価学会組織に当てはめると、創価班や牙城会、白蓮グループなど、言葉の定義だけで言うと、全て「組織内組織」といえます。しかしこれらは禁止対象ではありません。では創価学会組織の中で何が禁止されてる「組織内組織」なのかを考えてみます。

人材育成グループという「組織内組織」

創価学会の中で公に存在している「組織内組織」は全て"人材育成グループ"と呼ばれる組織で、基本的には池田先生や戸田先生が結成をしたという「文化」を持っています。これは大義名分がはっきりしており、組織体系もしっかりしています。またその思想性も一貫性があり、メインの組織系統と綿密に連動しています。例えて言うなら会社内の「教育機関」的存在です。「教育機関」の指導体系はもちろん会社の序列や方向性から外れるものとはならないのが当然です。故に、人材育成グループと呼ばれる各種の「組織内組織」が問題になる事はありません。

人材育成グループの例外パターン

ここから、少し踏み込みますが「例外」が存在します。それは、期間限定の人材育成グループが結成される場合です。例としては「世界青年平和文化祭」等が開催される場合、演目に出演する人達を中心とした一時的な人材育成グループが結成されます。これは本流(学会用語でライン、以下ラインと呼ぶ)の組織系統の枠を少し超えて結成され、指導体制も特殊になる事が多いと推測します。(少なくとも僕が見てきたパターンはそうでした)それでも、最高責任者はやはりラインの組織幹部が兼ねるので問題になる事はありません。

問題になる例外パターン

いよいよ本題へと入ります。例外パターンの中で禁止となるかならないかのギリギリ例に踏み込みます。これは、各種現場組織で、人材育成を目的とした独自のグループを結成してる場合です。これは組織体系はあまりなく、ゆるーく御書を勉強するチームを作ってますみたいなパターンです。これが認められてる場合は結構希少です。中心者となる人に余程行動力があって、必要性を説くことができる場合に限ります。現場組織でこの様なチームを結成されてる場合を目にしてる方は激レアなパターンを見てるという事になります。問題となる「組織内組織」はここから発展します。ではどこからが問題となるのか、それはズバリ「閉鎖性」と見ています。

問題の本質は「閉鎖性」

仮に現場組織で「御書を勉強する会」が結成を認められたとして、活動を始めた際、当然様々に教学の堪能な幹部の方を呼んで勉強する事は全く問題ないのですが、中心者の人の意見に近い人だけを集めて、自分の心地よい幹部の方だけを呼ぶとなると、これは問題とされる「組織内組織」となります。「閉鎖性」を持って独自の思想に染めて、学会のライン組織から離れた解釈、教義を閉じられたグループ内で醸成する事となるからです。これがこの問題の代表例になる「足軽会」と呼ばれる輩たちです。やはり、ここで問題になるかならないかを決めてる境界線はやはり「閉鎖性」があるかどうかになるでしょう。

Twitterのスペース機能は「組織内組織」になり得ない


今まで述べてきた事を総合的にTwitterのスペースに当てはめた場合、スペースは誰でも聞けて入室を断れない性質がある以上、「閉鎖性」は担保されない為、僕の結論は「組織内組織」となり得ないと考えます。全世界に公開されてる以上、「閉じられた中で醸成する」という現象が起こらないからです。もしも起こりそうな場合でも、誰かが学会組織へ報告し、組織の然るべき人が入って辞めさせれば良い事ですから。僕は学会系のスペースにほとんど参加していますが、その様な空気のある所はなく、皆様概ね、有意義な語らいをされていたと認識しています。

主催者はリテラシーを守ろう

とはいえスペースは主催者の個性が色濃く反映されます。それはとても良い事です。多様性がら叫ばれる時代、様々な受け皿が存在して、皆さんが前を向いて進める場となるならこれからどんどん進めて行くべきです。しかし、主催者側は、やはりリーダー的存在となります。創価学会の看板を持って全世界に発信されてる以上、相応の責任がある事を自覚せねばならないと思っています。

学会が何故「組織内組織」を禁止しているか、教義の上では「破和合僧の働き」となるからです。日蓮仏法には明確な「戒」は存在しません。故に創価学会の組織内のルールの上で修行、生活をして行く事が「戒」を学ぶ行為に相当します。組織の人の集まり(和合僧)の中で「戒」を学び、「定」を促して仏界の生命を覚知する「慧」を得る事が本来の目的。にも関わらず「戒」を独自に作り、組織の人々を切り離して自身だけの組織を形成する事は「和合僧」を分断する「破和合僧の働き」となり、「定」「慧」への道のりを閉ざす事が禁止されるべき事であると思います。であるならば創価学会と名を冠するスペースを開催する主催者は「戒」の範囲を把握せねばなりません。どうすれば把握できるのか。それは単純明快で、日常的にリアルの活動を精力的に行い、「戒」の範囲を身につける事です。そして、学会のライン幹部と連携を密に取り、指導を受ける体制をとっておく事です。自分の主観だけで「戒」を決める事を防止する為に組織の指導がありますから。一般的なリテラシーは当然の事として、仏法者としてのあるべき姿を今一度見つめ直し、創価学会の目指す「一人一人の幸福の確立」を目指す事ができる様な発信を自身の自戒を込めて硬く決意し、今回のnoteを締め括らせていただきます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。





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