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【考察】ソラニンの東京の魔物って何だったの?

はじめに

この記事は浅野いにおさんの作品、マンガ:ソラニンをネタバレしつつ考察します。
物語の考察をはみ出て筆者の人生観の話にもなるかもしれません。
いいマンガは人生の教科書だと思っています。
みんな、本編は読んだか!?
本編を読んだ方はGO!

ソラニンとは

東京でOL二年目の芽衣子は、自分は社会人に向いていないのでは、自由になりたい。という気持ちから、会社員をやめる。恋人の音楽で成功する夢を捨てられないでいるフリーターの大学の同級生:種田といるために東京で同棲生活を続ける。芽衣子は自分が種田を圧迫していることを友達に指摘され、音楽を本気でやって欲しいと伝え、種田はバイトをやめ、これでだめなら音楽をやめると芽衣子にだけ伝え、大学からバンドを一緒に続けている仲間たちとレコーディングに挑む。

好きすぎてソラであらすじが書けてしまう。。。という自分に浸りつつ間違ってたらすいません。

漫画の描き方の本には、マンガのコンセプトは時流を表していて、成長が止まった日本で若者の等身大の物語を書こうとすると、閉塞感と自由の中で苦しむ若者が主題になるのは自然な流れだということが書いてあり、納得してしまいました。浅野いにおさんの「なんかよくわからないオチだったけどもう一回読みたい、意味が知りたい」と思わせる魅力の一部なのかも、、、、?

記事タイトルの東京の魔物って何?

冒頭で、自分を満員電車に揺られるありふれたOLだという芽衣子が心の中で電車の人に毒づきながら「東京には魔物が潜んでおります。」というのです。
そして、新装版の描き下ろしにて、
芽衣子が
「東京には魔物が潜んでおります。」
…10年前の私はそんな風に思っていた。
と自分を振り返り
何と戦っていたのか、負けてしまったのか
と思います。
そしてふと流れるあのメロディ。

種田と芽衣子は、ソラニンがある限り、世界の果てまで一緒なのです。

おっと、浸ってしまった。

上の説明だと意味がまるで分からなかったと思うのですが、
ぜひ本編でお楽しみください(笑)

東京の魔物とは「選択肢・可能性」のことでは

東京の魔物?どういうこと?というところで
芽衣子は満員電車が嫌いで、マウントをとってくる後輩も、何かにつけて叱責しようとする上司が嫌いでした。
そんな中でも頼れる実家があるのに帰らなかったのは
東京にいる限りある見えない選択肢、その選択がうまくいく可能性、選択肢がそもそも見えるかもしれないという可能性が、
恋人の種田との未来を軸にあったからではないでしょうか。

そして、種田はレコーディングもしたことないのに大学卒業間際に曲作りをしながら、武道館でのライブを夢見るような、文字に起こすとバタバタしてしまうような男性です。

選択肢が見えず、就職もどことなく選ばされた気持ちの芽衣子
プロミュージシャンという選択肢が見えず、可能性を期待している種田

そして、種田は選択肢への可能性が絶たれたと感じ、、、、

選択するということ

芽衣子は物語の中で
自分の未来の軸だった種田と二度と会えなくなり、
「バンドを種田のギターで、種田の曲でする」
という重大な選択をしています。
仕事をやめるほうが社会的には重大な選択だったかもしれませんが、
自分で明確な意思をもって、なにかの前向きな可能性を感じて
選択した。ということに意味があったのではないでしょうか。

私にとってのソラニン

芽衣子は仲間と一緒にプロを目指して大成功して終わるわけではありません。
状態だけを考えれば、独り身になり(まだ全然若いですけどね)、勤める会社の規模も小さくなったので給料も減っているかもしれないので、社会的成功の話でもありません。
ただ、世界の果てまで選択肢はあることを教えてくれました。
そして、幸せというものは自分の意思で何かを選択できたという自覚も必要要素に含まれるのではないでしょうか。
選ばされたのではなく、選んだこと。
ありがとう、芽衣子、種田、加藤、ビリー、アイちゃん。
ありがとう、ソラニン。
登場人物にもっと優しくして、浅野いにお先生。


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