祝う気持ちで5000回くらい爆発しているので逆に冷静に書いた娘のバースデー
先日、娘が産まれて1年が経ちました。
誕生日の日の朝を迎えて、カーテンを開けて、日差しの中むくりと起きた娘の顔をみて思ったことは、きょうもかわいいなぁ、ということだった。
産まれてから繰り返し思ったことを、その日も同じように思った。特別な朝というより、いつもの朝だった。
一年経ったことはすごいことだけど、一年経過することをゴールに生活してきたわけではない。それに、何度も思い出すような印象的なシーンや、新しいことが出来るようになった記念日はこれまでにたくさんあったのだ。産まれて1年の誕生日を迎えたことは特別だけど、その一日は昨日と変わらぬ一日だ。
でも、365日でループする暦の中で生きてるので、2巡目に入ったという感覚はあり、誕生日以降、毎日、去年の同じ日のことを思い返すようになった。
一日でみると積み重ねの繰り返しだけど、去年を思い返して比較すると、逐一ほろりとすることが出来る。
去年まだ、目が開くか開かないかで、おっぱいを一生懸命飲む姿が印象的だったけど、今は自分の手でおにぎりとかにんじんとかもりもり食べる。お茶をごくごく飲んだと思ったら、ぴゅーと出して遊ぶこともできる。
ずっと仰向けで手足をときどきぱたぱたするのが可愛かったのが、今は、公園のパンダにしがみついて伝い歩きしたり、おもちゃを出したり仕舞ったりできるようになった。
同じひとだけど、同じじゃない。
でも寝顔やおっぱいを飲む姿はまだまだ赤ちゃんなのだ。
成長した姿と、変わらぬ姿を交互に見せられ、こちらとしてはその落差が生む位置エネルギーをもろに喰らうことになるので、もたない。主に、写真に占めるクラウドのストレージがもたない。
誕生日プレゼントには夫婦で夜なべして作ったビジーボードを贈った。ビジーボードというのは、板の上に、娘が普段興味を示すものをたくさん貼りつけた、“我々のかんがえたさいきょうのおもちゃ”である。
朝起きて、リビングに連れてきてからお披露目した。最初戸惑って、手を近づけるけどすぐには触らず、
「えっ? なんですかこれは? えっ、わたしにですか? え、いいんですか」
みたいに遠慮してるんだけど、ほどなく、
「じゃあ、ちょっと味見させてもらいましょうかね」
という感じで、好きなように遊びだした。
新しいおもちゃにかじりついて夢中で遊んでいる背中がめちゃめちゃカワイイ。
部屋を風船で飾り付け、離れた親族とZoomを介して小さなパーティを開いた。おとなも赤ちゃんも、ちょっと特別なメニューをおいしくいただいた。はじめてのZoomに娘は最初ぽかんとしていたけど、すぐに慣れて楽しそうに笑っていた。
準備とかでばたばたしたので、あとはゆっくり過ごした。近所をさんぽしたりした。
近くの川沿いの遊歩道を娘をだっこしながら奥さんと歩いて、なにっちゅうこともない会話をしたりする。公園では砂の上でテニスみたいな見たこと無いスポーツをしてる人たちがいて、そのボールを打ち合う音からペコポンと勝手に名付けた。日が傾いて来て、風が冷たくなってきたので家路についた。
娘が産まれて1年が経った。夜眠るとき、ぼくと、奥さんの間に1年ぶん成長した小さいひとがいる。
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