見出し画像

娘の落涙にぼくの中のインターネット黎明戦士が目覚めたりする

 昨年の秋ごろだったと思うが、マクドナルドのハッピーセットで「トロピカル~ジュ!プリキュア」のメイク(お化粧)ごっこおもちゃを入手した。
マーメイドアクアパクト》という銘の、ネイル・コンパクトだ。

 娘は今もそのおもちゃがお気に入りで、

「おつめ、ぬってあげるね」

 と言いながら、ぼくや奧さんやプリキュアの人形の指に付属の筆でちょんちょんちょんとやる。

「かわいくなりましたよ」

 とネイリストさんみたいに言ってくる娘はさいこうに可愛いし、とっても楽しそうだ。

「どうもありがとう」

 と娘に言うと、

「へへ」と笑って「もっかいやる!」と繰り返す。

 先日、夜お風呂に入る前、娘に、

「お風呂の前にトイレ行こっか」

 と言うと、

おつめするやつマーメイドアクアパクト持ってく!」

 と言う。

 トイレにおもちゃ持って行くのはちょっとなぁ、と思ったけど、頑なな娘にこちらが折れた。

「今日だけね。トイレにぽっちゃんしないようにね」

 娘が補助便座にまたがりおしっこを、しー、とやる。その後、

「じゃあ流して、おてて洗おっか」

 と言うと娘が、

「あっ」

 と言った。娘はあわてた様子で、

「おちたの! みて、おちてる! とうちゃんとってよ!」

 とぼくに言ってきた。便器の中を覗くと、水が溜まっている底の方にマーメイドアクアパクトのパーツが沈んでいた。
 案の定おとしてしまったのだ。

 落としたのは、コンパクトの中に挟むカラフルな星やハートが印刷された紙のパーツだった。
 水を吸って印刷はかすれ、紙はゆがんでいた。拾ってやりたいけど衛生的観点からはばかられた。

「紙だからぬれちゃったらもうダメなんだよ。ざんねんやけど流そう?」

 と言うと、

「ああああ!! いやや、おとうちゃんとってよ! おとうちゃん!!」

 と、娘は顔をくしゃくしゃにして涙をぽろぽろ流して叫んだ。

「後でおとうちゃんが取っとくから、さきにおかあちゃんとお風呂入っといて」

「あとでじゃない! いまとってよ! いややぁぁぁぁ! わああああん!」

 だいじなおもちゃが帰ってこないかもしれないことが、不安で、悲しくて仕方ないようで、娘なりになんとかしようとしてか、ぼくの手をつかんで便器のほうに持っていこうとしてきた。
 ぼくが言う「あとで」の意味はもう理解してると思うけど、不安で仕方ないようだった。
 ぼくも辛くて悲しい気持ちになった。
 同時に、失うことをこんなにも悲しめる対象があることがひたすらまぶしくて、そっちの感情でぼくまで泣きそうになった。なんていじらしいんだろう……

 それはそれとして、どうするか?

 落ちた紙パーツを便器のそこから拾う選択肢はないが、娘の目の前で流してしまうことは絶対にできない。

「……」

 ぼくは少し考えてから、ずっと泣き続ける娘の前にひざまずいて、その泣き顔を真っ直ぐみつめた。

「○○ちゃん」

 娘が産まれてから2年半。たぶん今までで一番真剣な気持ちでその顔をみて、言った。

「大丈夫。おとうちゃんが何とかする」

 いつもより真剣な声のトーンを察してか、娘は泣く声を止めた。

「……なんとかする? おとうちゃん、なんとかする?」

「うん、なんとかする。だからお風呂はいっといで」

「……うん!」

 娘は安心したように、涙をとめて力強くうなずいた。

 娘が奧さんとお風呂に入ったのを確認すると、ぼくはこっそりトイレの水洗レバーを引いた。
 その後、お風呂上がりの娘には、

「おつめぬるやつ、おとうちゃん病院に入ったから治るまで待っててね」

 と伝えた。“おとうちゃん病院”というのは、娘のおもちゃを修復する病院のことだ。

 娘を寝かしつけたあと、PCとプリンタを起動した。
 むかし自主制作ホームページの管理人をやっていたとき、相互リンク用のバナーを作ることで培ったPhotoshopの技術を総動員した。

 そして、マクドナルド・ハッピーセット「トロピカル~ジュ!プリキュア」のマーメイドアクアパクトの内部紙パーツをほぼ完全に再現した。

 翌朝、起きてリビングにやってきた娘に、

「ほら、治ったで」

 と元通りにパーツが揃ったマーメイドアクアパクトを渡した。

「……」

 娘は無言で手に取り、コンパクトの中を開けて、紙パーツを見た。
 取り出したり入れ直したりしてその存在を確かめた。

 ――すると、寝起きの少し重たいそのまぶたが、ほんのわずかではあるが、少しだけ驚いたように見開かれた。

「なおってるでしょ?」

 とぼくが言うと、

「……」

 と、黙ったままではあるが、顔をあげてぼくのほうをみた。すぐに視線を外して、近くに置いてあったプリキュアの人形に手を伸ばして、

「おつめをぬってあげるね!」

 とごっこ遊びを始めた。

 ぼくは、このときほっとしていた。

 2歳半の子どもを侮ってはいけない。驚くほど細部をみているのだ。

 夜なべして再現したこの紙パーツだが、細部まで全く同じに出来たわけではない。紙の質感も印刷の色も微妙にちがう。
 だから、娘がそれを見たときに、

「ちがう! なおってないぃぃぃぃ! おとうちゃんなんとかしてよ!! わああああん!」

 と、また泣きだしてしまう未来も想定していた。
 しかしそうはならなかった。
 自然に、何事もなかったようにごっこ遊びが始まったのだ。

 ぼくは安心して、家事とかしながら、娘がお人形相手にお喋りしながらマーメイドアクアパクトで遊んでいるのを、ときおり見ていた。

 すると、

「うらもあるやん」

 と娘が言った。
 娘が、再現したパーツの裏側の印刷を確認していた。

 ぼくは、

(えっ、何で裏面の印刷があることを意外がっているの?)

 と思った。

 侮れない娘は、妥協してくれたのかもしれない。

読んでいただきありがとうございます!!サポートいただければ、爆発するモチベーションで打鍵する指がソニックブームを生み出しますし、娘のおもちゃと笑顔が増えてしあわせに過ごすことができます。