「私を離さないで」現実は小説よりも映画よりもエグく悲惨で厳しい

書籍と映画、両方の感想を述べたほうがフェアだろうと思います。是非自分に向いていると思えるほうを観てほしい素晴らしい傑作。


概要
自他共に認める優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる人々を世話している。キャシーが生まれ育った施設ヘールシャムの仲間も提供者だ。共に青春の日々を送り、かたい絆で結ばれた親友のルースとトミーも彼女が介護した。キャシーは病室のベッドに座り、あるいは病院へ車を走らせながら、施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に極端に力をいれた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちの不思議な態度、そして、キャシーと愛する人々がたどった数奇で皮肉な運命に…。彼女の回想はヘールシャムの驚くべき真実を明かしていく―

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書籍感想

ヘールシャム、という不可思議な施設が物語の舞台。

特に独創的なわけでもなくその展開も「そりゃそうだろうな」という事に帰着していく。

「〜についての物語です、と帯に書いても問題ありません」

と著者自身が述べていたそうだが、それも確かにそうだろうなと頷ける。

ストーリーや物語の設定にこの作品の肝は無い。

登場人物たちの圧倒的な細部にわたる会話の中での心情の機微そのものがこの作品の芯。

そこを楽しめる人にはこれは凄まじいといってもいい作品だろうと思う。

ただわたしには、大きな展開がありそうな設定なのにそれも無く、SF的下地があるのにそれをあくまで、単なる生活のひとつ、と位置付けた本作にあまり面白みは感じませんでした。

そもそもあんな昔の出来事をあそこまで細かく思い出してありありと描写するスタイルがわたしには馴染めませんでした。

その時代その時代で一人称が変わっていればかなり印象も違ったかもしれませんね。

異世界なのに現実的

その異世界を現実として描いたその力量には感嘆しますが面白くはありませんでした。

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映画の感想

緻密に感情を積み上げていった文章よりも映像となったほうが必然的に隙間があり私にとってはこちらの方がリアリティがありました。
おそらくハイティーセンシティブの方にとっては本のほうがグッとくるはずです。

中国のウイグル政策では明らかに臓器を取り出すための農場としてウイグル人を使っている
そして平気で世界はそれを傍観している。
だからこんな話は何もSF的な話ではない。
現実の方がより一層悲惨で目を逸らしたくなるものであるが…

我々は平気で自らの家畜を年間何十億匹も殺している。
足を動かす隙間もないほどの飼い方で親から子を引き離し死ぬ寸前まで子を生ませるが、牛豚鳥は霊長類並みに感情がある事が証明されているしなによりラットを躁鬱病対策の薬物実験に使っている事がその証左だろう。
そんな家畜化された動物たちの感情面には一切配慮せず今日もせっせと殺し食べ実験道具にし続けている。
だからおそらくその対象が人間に広がったとしてもなんの不思議も無い。

ただ、本作と現実が違うのは、明らかに現実の世界は逆の方向に向かっていて恐らく1世紀後には黒人奴隷制度を見るような目で現在の家畜制度を見るはずだしヒトラーを見るような目で習近平を見ている、と思いたい。

なぜか私たちは己の欲望の為に利用する対象に対して感情を鈍感にする能力がある
この作品で語られる「ギャラリー」の存在意義はまさにそんな姿を如実に表している。
複製された存在に魂があるかを証明せねばならない時点で、彼らには複製だから魂が無いという前提を勝手に幻想として作り上げる能力が我々にはあるのだ。
生物とはすべからく本質的にはすべて複製だ。
その「己の欲望のためにわざと鈍感になる」能力はまるで本当は自分たち全員が複製だという自覚を持ちながらも認めたくない子供の駄々のように感じるのは私だけだろうか。

拉致されて収容されるウイグル人と唯一違う点は最初から複製された彼らは己の存在とゴールを「知っている」ということだ。
その己が「臓器を使われるだけの存在」と知っている彼らがすがりつくヨスガがあまりに儚く胸を締め付けられる。


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