柔道のルール改正について思うこと

中学生の柔道競技のルール改正が行われ、絞め技(柔道着の襟を使って、あるいは自身の腕で相手の首を絞める技)が禁止になりました。

従来のルールだと柔道の寝技では、中学生になると絞め技(三角絞めなど一部を除く)が、高校生になると肘関節への関節技が解禁されます。

では、なぜこのようなシステムが設けられていたかというと単純に危険が伴うからです。

絞め技を我慢しているとやがて失神し、そのまま時間が経つと脳にダメージが残る可能性があります。
さらに脳の構造上、失神を繰り返す事に、首が絞まってから失神するまでの時間が短くなっていきます。
これは打撃格闘技の選手が撃たれ弱くなっていく事と同義と考えてください。
(※関節技の危険性については今回改正されたルールとは関係が無いので省略します。)

個人的には今回のルール改正には否定派です。
改正という言葉すらどうなのかな?と思っています。

まずは個人的な感情の部分で。
柔道は小さい頃から続けている選手が多いです。
そのような経験者の多い環境下で中学校から柔道をはじめた自分が経験者に勝てる部分として、経験者と同時期に習得できる技術である絞め技の存在は大きかったです。
偶然、試合で極めてから絞め技の練習に力を入れるようになり、高校生になってからもそれを主軸に何とか闘うことが出来ました。

続いて重要な理論的な部分。
念頭に、今回のルール改正では絞め技により失神を繰り返すことが問題視されています。
では実際に首を絞められるとどうでしょうか?

技をかける選手の技量や、かけられる選手のタフネスにもよりますが、基本的に瞬時に意識を失うことはありません。
関節技だとそうではなくて、例えば腕が伸びてしまうと瞬時に肘関節の靭帯が損傷・断裂してしまうことが多いのですが、絞め技は比較的我慢が効きます。

ここで、柔道の一般的なルールについて考えます。
寝技では、展開が無くなり膠着状態が続くと、審判が「待て」とコールし、再度立ち技から試合が再開されます。
この「膠着状態」は単にお互いに動きが見られない場合に限った話ではなく、「絞め技をかけている/かけられているが我慢している」状態も含まれています。

つまり、我慢し平気なフリをしていればいつか審判が止めてくれる可能性があるということです。

個人的には絞め技自体に問題があるのではなく、この「待て」により助けられることに選手が期待してしまうことが問題で、「待て」で助かる可能性があるので限界まで我慢してしまい失神してしまうのです。
頑張るところはそこではなく、まず首を絞められないようにすべきです。

成長期の子どもを守るためのルール改正ですが、自分の見解としては、団体戦で体重差のある選手同士の試合が行われる可能性があること、また練習において体重差や性別差が度外視されがちであることの2点について考え、変えていく方が現実的であると考えています。
(※ただし、後者は競技人口の少ない柔道において練習相手が不足しており止むを得ない場合もあるのが現状でしょうが…。)

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