少年スポーツ指導に必要なこと・アウトプット体験の提供
感動する記事を紹介しようとしたら、スーパー長くなりました。
【今日の結論】
スポーツ指導者は、試合を楽しむ機会を作り出すことまでできて指導者
本気で頑張ることが楽しいと信じてるなら、
本気で頑張るアウトプット機会を作れ!
本題
日本のスポーツ指導において、相反するように見える二つの提言があります。
A・スポーツに道徳教育要素持ち込むんじゃねえよ。
B・スポーツに勝利を求めるな!
それぞれの立場を簡単に確認しておきます。私の前提が違っている場合、ご指摘ください。
前提確認
A・スポーツに道徳教育要素持ち込むんじゃねえよ。
人格者が強い? 違うだろ?
戦術を理解し実践できる強いものが勝つんだよ!
インタビューで「どんなお気持ちですか?」とか聞いてる
マスコミがいるから競技力上がらねえんだ!
何を思考し、何が実現できていて、何が不足しているのか。
それがスポーツだろ!
この立場の代表例として、
日本男子卓球王者・水谷隼選手の書籍をあげます
「負ける人は無駄な練習をする」卓球王国・水谷隼 著
徹底した合理主義の提案、わがままに思えるほどの哲学。
孤高のチャンピオンを維持する精神の一端が伺えます。
*アマゾンのリンクがテキストにしか張れませんでした。
*挿絵は水谷選手のオーラを可視化したスタンドのようなもの
一方で、こんな批判もあります。
B・スポーツに勝利を求めるな!
いきすぎた勝利至上主義が参加者を不幸にするんだよ。
スポーツなんて遊びだろ?
将来のための戦術?小難しいことはいいんだよ。
楽しめるように、いま必要な技術を笑いながら
身に着けたらそれで充分だろ?
みんな仲良く試合に出て楽しめたらいいじゃん!
この二つの批判の矛先は、だいたい部活動(中学・高校)とスポ少に向かいます。
*クラブチーム(サッカーやテニス、水泳など)については、経営を伴うためやや視点が異なるようです。
私は中学校・高等学校の部活動に関わる機会が多く、この問題に結構がっちり関係しています。
この二つの板挟みになりながら、折衷案のように学校教育の部活動(一部地域では全員加入)が存在します。
一般的? 部活動の例・イチロウチームの方針
夢を実現する力を、スポーツの実践で学ぶ。 真剣に考え、目標設定し、競技力をあげることで、自分の夢が実現する力をつけよう。
ただし、競技者の前に、中学生・家庭人であれ
このあたりは、過去記事に詳しく書いています。
一応、競技力をないがしろにせず、競技の本質を追求しつつ、
勝利至上主義におちいることなく人間形成に取り組む、というバランスをとっているつもりではいました。
この記事を見るまでは。
小学校世代のスポーツ指導(スポ少)についてです。
B・勝利を求めるな!
をさらに推し進めています。
アイスホッケー指導の現場からの三浦さんの提言です。
僕はここで一つ疑問を呈したい。
なぜみんな、「試合に出れない子どもたちがいる」ことを当たり前の前提として話しているんだ。
試合に出るための競争を経験するのは、もっと後からでいい。
「試合に出れていない選手の気持ちを背負う」とか、
「ベンチでもチームのためにできることがある」といった感情は、
試合に出るための競争を通して学べばいいことで、そもそもその競争をする必要がない子どもたちに背負わせる感情じゃない。
こういった感情を抱かせることは、試合に出れない子どもたちが存在することを肯定化する大人のエゴに他ならないと思う。
(中略)
ユース年代においては、
「チームを勝利に導くコーチ」ではなく、
「チーム全員を試合に出場させるコーチ」こそが
真の評価を得られる世界になってほしいと心から願う。
ここでは、指導陣・保護者の価値観の変革を求めるとともに、
競技運営そのものの在り方として諸外国の試合形式が紹介されていました。三浦さんの記事の引用を続けます。
例えば同じ大会でも強いチームをAグループ、弱いチームBグループに分けて、自分たちの実力に合った相手と対戦し、どのチームも勝ち負けに関わらず最低3-4試合は必ずできるような仕組みを作ることはそこまで難しいことではないと思う。
そもそも、そんなに「優勝」にこだわる必要すらないのかもしれない。
自分も海外のトーナメントに参加したときに、「勝ち上がる」という概念よりかは、「試合数をこなす」ことにフォーカスをしていたことに驚いたことがある。
「どこが優勝なの?」と聞いても、「それはあんまり関係ないよ」と言われた。
これは、卓球や剣道などの試合数をこなしやすい競技において
「錬成大会」「交流大会」「○○杯記念大会」などでみられる方式です。
これらがあること自体はとってもいいことなんですよね。
私も、練習試合に勝手に賞状を持参して、最初のたがいのあいさつを
「開会式」と名付けて「イチロウ杯(仮)」のような怪しげなミニ大会を量産しています。だって、みんなが団体戦でれるでしょ?
問題は、我々少年指導者は、それらの「試合数稼げる大会」を
単なる経験値を稼ぎととらえてしまっていること。
「本命の公式戦!」に魂をかけた勝負をしたくなる病にかかっている。
だから、
「地方大会」の先に「県大会」があり、その上には「地区大会(複数県)」があって、そのさきに「憧れの全日本大会」があることを当たり前に思っています。
「いつかは全日本!」=指導者の病
いわゆる、甲子園・花園・箱根駅伝病です。
さきほどの記事は、小学校世代の事例だろ?
いや、中学校からは自分の意思で選ぶでしょ!
ほら、高校世代は将来がかかっているからトップアスリートだよね?
だから、違う!
・・・と、言えるのだろうか?
「うちの子たちにも全日本の舞台を体験させたい。」
という美名の裏に、
「俺が指導者として認められたい」というエゴはないのか?
残念なことに、私にはかなりあります。
スポーツ指導が本当に子供たちの未来を拓く力を育むものなのか?
指導者は、そのためのシステムまで見据えて指導を提供しているのか。
先ほどの記事を受け、少年スポーツの保護者の立場で
Auf_fanさんが熱い思いを書かれています。
日本におけるアイスホッケーは
上手な子の「親」のためのスポーツに成り下がったと思う。
この責任は、今まで脈々と体育会経験者及び実業団で閉鎖的な運営を続けてきた連盟にあると思う。
私はサークル出身者。アイスホッケーが楽しいと思ったから子供にやらせたけど、このスポーツは大学からやっても十分楽しい。
敢えて少年時代にやらせて嫌な思いをさせることはなかったと反省しているし、貴重な幼少期に子供にあったスポーツを見つけてあげられなかったことをとても後悔している。
アイスホッケー界の事情は全く分かりません。
氷のリンクを整備し、ケガ・負傷の多い競技を安全に少年スポーツへと落とし込むことは並々ならぬ苦労があることでしょう。
競技団体が成立し、試合が運営されているということは、アイスホッケー連盟が一定の成功を収めているのだと思います。
他山の石、もって玉を磨くべし。
それでも、このような悲しい思いをされる選手・保護者がいることを、
我々スポーツ指導者は肝に銘じておかないといけない。
競技の楽しさをしることなく、1年間を終えた。
そんなことは、絶対に許されない。
【今日のまとめ】
己が人様にたいして「指導者」などと偉そうな存在であることを決めたなら、抱えた選手全員を楽しませよう!
試合がその競技の本質だっていうなら、ちゃんと全員が出れる試合を組め!
ないなら作れ!
「え、そういうの連盟のお偉いさんの仕事だろ?」
うるせえ、それがうまくいかないから悲しんでる人がいるんだろ?
パソコンとプリンターがあれば賞状は作れる。
ゴルフ屋さんに行けば、優勝カップは980円で売ってる。
全選手が3試合以上できるミニ大会を作れ。
賞状があれが、子供たちは目の色変えて本気で頑張る。
本気で頑張ることが楽しいと信じてるなら、
本気で頑張るアウトプット機会を作れ!
どのレベルの選手も、努力と戦術で勝利の可能性があるレギュレーションを組め。
公式ハンデをつけるゴルフを見習え!
ハウスルール大歓迎だ!
と書いていて、あらためて様々な第1回大会を作り出した方々の熱意と愛に心から敬意を表します。
noteに参加しなかったら、
こういう風に本気で日本スポーツの未来を考えるきっかけはもてませんでしたし、こんな風に全く違う競技の関係者と交流を持つこともありませんでした。
この記事が、どなたの目に留まるかわかりません。
もし、あなたがスポーツ指導に関心を持つ方なら、お二人の記事を広めていただけると本当にうれしく思います。
おまけで、この記事にもスキとかコメントとかもらえると、とっても嬉しいです。
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