濁流の中の栞
SNSをしていると色々な情報が流れてくる
その内容は様々で、流れてくる情報も感情も勢いある濁流のようだと感じる時がある
どうしても沢山のタイムラインを追えない自分は多くフォローが出来なかったり設定で流れてくる量を制限したりしています。
沢山の情報にさらされると気分や体調も悪くなってくるので、そうならない人を見るといつも凄いな、いいなぁと感じています。
結論付けたくないけど、性格的にSNSがあんまり向いてないんだと思います。(苦笑い)
そんな性質だからか、自分の投稿が、見てる相手の負担になってないかいつも気になっていて写真も言葉も決まったものになりがちです。
もしかしたらそれが今回の仮ラベルの原因なのではと考えていますが正確には分かっていません。(同じような文章や投稿をしているとbotやスパム行為と判断されるようです。あと短時間にいいね押し過ぎとか。)
よくフォロワー数を増やすにはこうしよう!とか、沢山見てもらうには…などの話があります。
やっぱり見てもらえるのは嬉しいので、気にならないと言ったら嘘になるけれど、どうしてもそのための行動をしたいと思えない
相手の貴重な時間を割いてもらい「見て見て!」というのは負担にならないかと考えてしまったり、沢山いいねをもらうと一定数しか相手の表示がされないので全員にお礼を返しにいけないのが困る…というのがあります。
投稿するにあたって自分なりに守ってること
この写真アカウントの投稿には自分なりのルールをもうけてます。
なお、このルールは周りには求めません。
(あくまで自分がSNSを無理なく続けていくためと投稿を見てくれている相手のための守りたい事柄です。)
・あまりにも感情的な表現は使わない
・なるべく見やすい読みやすいを心掛ける
・〇〇して系、拡散希望等の投稿や引用を控える
(相手に何かしらの強制をさせる内容)
・1日に沢山の投稿をしない(基本1日1〜2投稿)
・無断で投稿しない状態を必要以上に続けない
・いいね等の反応をくれた方へお礼や応援も含め相手の日頃の投稿を見ていいねする
見る人のことを考え過ぎてしまうと毎回無難な内容になってしまったり、むしろ見にくかったり面白くないかもと悩んだりもしますが、この自分なりのルールがあらゆる情報の中でしんどい思いをする人を少しでも減らせたらと考えています。
近年は良くも悪くもメッセージ性の強いものが多いので心身に負荷がかかりやすいように感じる…
せめて自分の写真や言葉は、溢れてくる情報という濁流の中で、心を休めて深呼吸できるひと時の栞ような役割であればと思っています。
おわりに
このような考えに至ったのも、ここ1〜2年くらいで、それまではSNSとの距離感にずいぶん悩みました。
人生はどうなるか分からないので、また考えが変わっていくこともあるかもしれませんが、これからも良い距離感でSNSや投稿を続けていけたらいいなと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
季節の変わり目なので体調には気をつけて
お過ごしくださいね。
それでは、また。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?