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所在が無い人生である。

日本全国津々浦々。

旅行が好きな両親のおかげで北は北海道、南は離島(沖縄除く)を自らの足で歩くことが出来た。今思えば、働きながら子を二人も育てて、旅行計画を立てて動くなんて、もの凄い体力を持ってるなと尊敬するばかりである。

私が社会人になって、九州のとある県でアルバイトをしながら大学に通った四年間、初めての一人暮らしをさせてもらった。その県も勿論のこと家族旅行で訪れたことがあり、好きなバンドボーカルの出身地だと認識していたこともあるので、これから始まる新生活に「不安」の二文字は一切浮かばなかった。

無事に四年間で卒業し、母校となった大学に通う学生の殆どは九州内からの進学だった。ちらほら話を聞けば、出身地は九州外ではあるけれど、歴史上縁深い土地からわざわざ引っ越して学んでいる人もある程度いたように思う。

そんなこともあり、自らの学力に見合わなければ、家計の事情が許さなければ、地元の大学ではなくて引っ越しをして離れなければならないことは致し方ないと分かりつつ、生まれてしまった家庭環境や生まれ育った土地、居住地から通える国立や県立大学があるかないか、といった要因について、大学時代は殊更敏感に考えるようになっていた。

かく言う私は、地元とほぼ変わらない偏差値の大学を選んで進学をした。別に地元の大学でも良かったのに選ばなかったのは、地元を離れたくて仕方がなかったせいだ。家から通えただろう地元の大学には、高校時代の同級生の多くが進学したので、代わり映えのしない学生生活なんぞ誰がするものかという一心だった。両親に何度も頼み込み、無事浪人もすることなく進学出来た。ありがとう、両親。ありがとう、予備校。ありがとう、歴史担当講師。たった一人だけ、心の底から出会えて学べて良かったと思えた講師が教えてくれて好きになった科目はどこが正解かも分かるほど、結果は90点を軽く超えた。そして、もともと得意だった国語に救われたセンター試験は良き思い出となった。(文系なのに英語はとんと駄目である)


そして続くのですが、私は成人式も卒業式にも出席しなかった。成人式で出会う人より新しい土地の年齢関係なく付き合える人達が好きだった。学生時代は封印したかったというのもあるけれど。

卒業式の日にはもう東京が私の生活拠点になっていた。心底人生を楽しむことが出来たのは、唯一東京生活だけだと、今関西に住みながらも思うのである。東京は輝かしい。特別になった気がする。掴んで掴んで離さない何かがある。

少し振り返った過去。居住地を転々としながら、どこにも根を張らずに生きている私は、果たしてなんなのだろうか。


私には根無し草、という言葉がぴったりだ。何処にだって所在なく息を潜めた毎日を送っているのかもしれない。

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