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#12 ローマ皇帝になるには教皇の戴冠が必要?

こんにちは、クロノ(@chrono_history)です。

800年、カールの戴冠により西ローマ帝国が復活


教皇レオ3世がローマ帝国の冠を授けることで
ローマ帝国が復活したという話、聞いたことありますか?

「オットー1世がローマ教皇から戴冠されて
神聖ローマ帝国が誕生した」という話もあります。

これらを総合すると、ローマ皇帝になるには
教皇からの戴冠が必要みたいですが、実際はどうなのか?

今回は「ローマ皇帝になるには教皇の戴冠が必要?」
について深堀りします。

結論:時代と場所による


教皇による戴冠でローマ皇帝が誕生するのは中世だけで
古代にそのような習慣はありません。

そもそもローマは、キリスト教を弾圧していましたからね。

公認したコンスタンティヌス帝ですら戴冠されていません。

395年、ローマ帝国は東西に分裂しますが、それまでの皇帝は大きく2つに分けられます。

「元首政における皇帝」と「専制君主制における皇帝」、この2つです。

前者はアウグストゥス帝(オクタヴィアヌス)以降、後者はディオクレティアヌス帝以降から分裂直前までを指します。

元首政とはプリンキパトゥスとも呼ばれており、共和政期の形式を残存しつつ帝政を行いました。

ゆえに皇帝になるには元老院の承認が必要。承認され称号が与えられると皇帝になれるのです。これは帝政末期の専制君主制でも基本は同じ。

つまり、古代ローマ帝国では「ローマ教皇による戴冠は、皇帝になる条件ではない」ということです。

東ローマ帝国の皇帝になるには?


では東西分裂後の生き残った「東ローマ帝国(ビザンツ帝国)」はどうだったか?

東ローマ帝国では、古代ローマ帝国と同じように元老院の承認のもとになるパターン、皇帝が後継者を指名してなるパターン、この2つがありました。

比率でいうと後者のパターンでなってる皇帝が多い。

東ローマ帝国にも元老院という制度は存在していましたが、時間がたつにつれて廃れていきます。

どちらのパターンで選ばれるかはさておき、形式的に戴冠式が行われます。戴冠するのはローマにいる教皇ではなく、コンスタンティノープル総主教です。

ただ繰り返しになりますが、形式的であったとされています。

東ローマ帝国の場合、「ローマ」から離れたコンスタンティノープルが都であることでギリシア化が進みます。古代ローマと異なり、誕生した時点でキリスト教が国教化されています。

このような背景から、古代ローマとは違った方法で皇帝が決められていきます。

まとめ

「ローマ皇帝になるには教皇による戴冠が必要?」

結論:時代と場所による

ローマ皇帝になるのに教皇の戴冠が必要になのは中世に限られます。

場所も西ヨーロッパに限られます。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)にはコンスタンティノープル教会との関係性が強く、ローマ教会にいる教皇の戴冠は必要なかった。

そして戴冠式はあったものの形式的なものであったことがポイントです。

自分たちローマ・カトリック教会を保護してくれそうな強者があらわれ、東ローマ帝国のマネをしたということでしょう。

おまけ

800年、カールの戴冠により西ローマ帝国が復活


最初の話にもどりますが、この冠って、どこからきたんですかね?

というのも西ローマ帝国が滅亡したとき、滅ぼした張本人であるオドアケルは、帝冠を東ローマ帝国皇帝に返還してます。

自分はその器ではないというか、西に皇帝はいらないということで、返還したとされます。

教皇ではなく、東ローマ帝国の皇帝に帝冠をおくっていることからも、この時期、教皇の帝冠が必須事項ではなかったことが分かります。

もし、必須事項であれば帝冠した本人に送り返すはずですからね。

西ローマ帝国の帝冠は東ローマ帝国にある。なのに教皇はカールに帝冠したということで、形ばかりの式だったんなだなと思うわけです。


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