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年齢とともに


数年前のこと。


根は、ほんまにまじめだし
働かせてもらうからにはと
私なりに精一杯
出勤日はやり尽くしてきたつもりだった。


その姿を見てくれてか
予定の日数よりも多く
このまま働いてほしいと声をかけてもらった。


その時に
年上の女性から
「若ければ誰だって女の子は可愛がられる。チヤホヤされるし若いってそれだけで得よな。」
みたいなことを言われた。


それが、なんだか
その時のわたしの心にはひっかかってしまって
わたしの器や捉え方なのかもしれないけれど
妬みや僻み、嫉妬のようなものを感じると同時に
全てを若さとゆう年齢のおかげだと
言われたような気がして悔しいと思った。


なぜ、今そんなことを書いてるかとゆうと
最近わたしが想う
美しくしなやかに年齢を重ね
誰と比べるわけでもなく
自分とゆう人生を生きながら
内側から輝きつづける女性達が
SNSで発信してくれてる言葉に
同じではないけれど
どこかしら共通点があるなって感じたからだ。


可愛さだけで(外見だけで)
通用できるのは20代
その可愛さに自惚れ、勘違いしてしまって
(そうなる時期が一定期間、あった方が良いともおもう)中身を、内側を磨かず
30代を迎えてしまった時
世間は急に冷たくなるもの。


人は誰しも生きていれば年齢は重ねる。
体型や肌、体力など
隠しきれないごまかしきれないものも
年齢と共に出てくるし
本人がいちばん気づいてくる。
だけど、
ごまかしきれないものと同時に
なぜか美しさ、色気、深み、愛、愛嬌、あたたかさ、かっこよさ、凛とした強さ、優しさと柔らかさ、嫌味のない気遣い、心地よさみたいな
20代の時には絶対醸し出せないものを
放っている人たちとも沢山出逢う。



話しは戻って。
だからわたしは数年前に
あの言葉をわたしにかけてくれた人に
今はとっても感謝してる。
わたしは、精一杯やっても
私なりに頑張っても
若い女だからよ。と
片付けられたことが悔しくて
(今の私だったら悔しいとも思わないだろうなぁ。笑)
だからこそ
人として
なんならそう言われたことさえ
プラスにもっていけるような女性に
なろうって思わせてくれたから。


年齢と共に磨かれてゆくもの。
ごまかせない外見と
ごまかそうと思ってもごまかしきれない
内面から溢れ出るもの。


そして
今わたしは32歳。
20代の子達となぜだか沢山出逢う。
素直に可愛いらしいな
エネルギッシュやな
どんどんゆけー!
素敵やなぁ
すごいなぁ
しっかりしてるなぁ
どんな30代になるんやろ
達観してるなぁ
精神性高すぎる
尊敬するなぁ
って思わせてもらってる。
もちろん、それは年齢とかは関係なくて
何歳であっても同じことなのだけど😌



自分が年齢を重ね続けてゆくなかで
そんな風に思えない自分になるのかな?って
いろんな人に出逢う中で
考えた時もあったけど
今、純粋にそう思える自分がいて
ホッとしてるところもある。



時代も違えば
考え方も変わってゆく
先輩達の生き様も在り方も
同世代達の葛藤やライフスタイルの変化も
後輩達のフレッシュさも幅広い視野も
すべてリスペクト。



それぞれの輝きとか美しさ
愛嬌とかパワーとか
ひとりひとりがもつものを
活かしあって
認めあって
ゆるしあって
息あっていきたいよね。


なによりも
自分が想う
『幸せのカタチ』
をいろんなことある人生でも
それぞれ叶えあっていけたらいいね。


そして
それぞれの違いも同じも
なんであっても
認めあえるような日常が
紡がれてゆきますように🪷


今日もありがとう。
いつもありがとう。



🫶






ありがとうございます🥰