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5歳児餓死事件〜同じ恐れと孤独に支配された2人


ニュースをざっと見た時は、
悪魔のようなボスママが
善良なママ友を支配した事件かと思っていた。


洗脳、ボスママの恐怖。

ボスママ赤堀被告の容貌もあいまって

世間の目も、
碇被告よりボスママへの嫌悪
が強いようだ。

だけど、本当にそうだろうか?

先日から裁判のニュースを読むにつれ

類は友を呼ぶ

という言葉を何度も反芻してしまう。

ボスママの赤堀被告は

「久しぶりにできた友達(碇被告)を
なくしたくなくて、、、省略、、、」

そして、
2人をさらに上から支配する
架空のボスの存在。

(これに関して、今現在、2人の言い分は食い違っている。
碇被告は、暴力団に顔がきく人がいると
赤堀被告に言われていたと言う。
しかし、赤堀被告は、
イカリが恐れているママ友のことだと言う。)

何が事実かはまだわからないが

私が考えたことは
外側からは真逆に見える2人
だけど

内側は、
とてつもなく大きな
恐れ、不安、孤独
という負のエネルギーに支配された
同類の人間なんじゃないかと。

人を支配したがる人は
不安なんだよ、
自信がないんだよ、

とよく言われるが

本当にそうなんだと
このニュースを読んで、改めて思った。

2人は、
恐怖の大魔王を
それぞれの頭に棲まわせて
ずっと生きてきたのではないだろうか。

出会った時、
同じように恐怖の大魔王と
共に生きている人間に出会って
安心したのではないだろうか。

そして2人は手を組んで、無敵になって、
恐怖とたたかうために

自分たちが
本物の悪の大魔王

なってしまったのではないか。

恐怖とたたかうために
悪になるか、正義になるかは
紙一重なんだと思う。

どっちにしろ
極端に走ってしまう。

赤堀被告が裁判でも嘘をついているとするなら

その嘘は、恐怖の大魔王から
逃れるための虚言かもしれない。

もし幼児期から恐怖に支配されていたならば

嘘で自分の身を守る術を身につけてしまった
哀しい過去というものも
存在するのではないか。

あくまでも、私の推論でしかないが

恐怖で支配されることの
恐ろしさを考えてしまう。

人間は
支配する側にも
される側にもなるのだから。

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