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ADHDと診断された自分が、人生をコントロール出来ている感覚を獲得する

アメリカでは Thanks giving で珍しく4連休でした。読書と思想に時間を費やした結果、整理に時間を投資することで自分の ADHD 症状を完全に消し去ることが出来たので体験をシェアしておきたいと思います。個人の感想なので、医学的根拠とか一切ありませんが、自分と同じことに苦しむ人のヒントになればと思い筆を執りました。

人生がコントロール出来てない感

今まで自分の人生の最大の課題は「何をやっても出来ない」ことで、今年はそのことが解決出来た記念すべき年でした。

ワインバーグ先生の言う通り問題を解決したら次の問題が最大の問題に浮上する。一番大きいやつの次もなかなかの難しいものだ。それは「人生がコントロール出来ていない感」だ。正直な話をすると、今のチームに入ってからパツパツで常に仕事のことばっかりやっている。やらされているわけではなく、そうでないと不安なのだ。

 しかも、夜10時ぐらいまでがっつりそれだけやっても、積み残されたもので押しつぶされそうだ。そんなだから、人付き合いに時間を使えないし、折角ドリームジョブの中にいるのに、仕事はめっちゃ楽しいが、プライベートの幸せ感はとても低かった。そこで、次は仕事じゃなくて、どうやったら自分が幸せになるか?ということについて考えた。自分の結論は

自分で人生をコントロール出来ている感が欲しい

だった。仕事でいっぱいいっぱいなので、それ以外のことは私は全くできない。家はぐちゃぐちゃだし、事務処理とかそういうのは本当に最悪だし、書類も読んでない(というか、興味のないものは読めない)。私は医師の診断を受けてADHDと認定されたことがある。だから自分的には「人生のコントロール」はある意味あきらめるしかないものだった。だがそれが、自分の人生の楽しみを奪ってきたのは認めざるを得ない。

だから、まず幸せについて考えることにして次の本を読んでみた。研究に基づいた素晴らしい内容で、「幸せを感じるから成功するのであって、成功したら幸せになるわけではない」という研究結果は衝撃であった。他の研究結果も大変面白いので興味のある方はどうぞ!

このような本を読んでいて、幸せ、そして、人生をコントロールするということを考えたときにふと「掃除をしてみよう」と思った。単なる直観だ。4連休だし、仕事のことは考えないようにと考えているからかもしれない。ADHD なのだから、片づけは最大級に苦手でもちろん私の家はコロナでだれも来ないのもあって、ぐっちゃぐちゃだ。

机の周りだけを片付けて起こった変化

ところが、不思議なことが起こった。片づけが最悪に苦手な自分なので、負荷がかからないように「机の周りのみ片づける」と自分に課してやってみた。頑張って、時間をかけて机の周りだけを片付けてみるとあることに気づいた。

あれ、自分の頭が整理されている感がある

自分の頭の中は普段はぐっちゃぐちゃで、いろんな思考が乱れ飛んでいて一向にまとまらない。でもそんな頭が冷えていくのを感じる。何か感じるものがあって、「よし、今日はほかのことはいいから、片付けだけをしてみよう」。無理をせず部分、部分片づけていった。ますます頭が整理されてくる感じを感じる。その時になぜか、もう一つのひらめきを得た。あれ、もしかすると今までゴリゴリに散らかってたのって、「完了」させてないからとちゃうか?

「完了」の効果

自分の家は常に散らかったいたのだが、理由を考えてみると、いろんなものを「完了」していないからと気づいた。たまりにたまって山積みになった郵便物、洗濯だけして放置された洗濯物、脱ぎ散らかした服や下着、たまりにたまった洗い物、こってり汚れて食材山積みのキッチン。これらはすべて「完了」していないタスクの塊なのではないか?

例えば、「ランニングする」と決めるとする。自分の中で「運動」はパフォーマンスを維持するために圧倒的に重要なので、私は「走りに行く」のはする。ADHD も直接的に自分でめっちゃ重要と思ってるものはやるのだ。

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 その後どうなるかというと、走ってきてたら、服と靴下を脱ぎ散らかして、スポーツ飲料を自分で作って、「よく走ったなー」と自分をほめる。

これは「走る」という一番多分重要な行為だけをやっただけで「完了」していない。完了はきっと、「走るー>かえって服を着替えるー>服をたたむ、もしくは洗濯籠に入れるー>水分補給をするー>シャワーを浴びる」までして完了と考えたらどうだろう?

同様に、「洗濯した」は完了ではなく、たたんで、収納して完了。「食事をしたら、洗い物をして、キッチンを掃除して完了」、「郵便物を受け取ったら、開けて、中身を確認して理解して、不要なのを捨てたり、処理したら完了」という具合だ。結局、本体と思われる部分だけをやるから、いつまでたっても完了せず、部屋がめちゃくちゃになっていく。あとで処理をするときはおっくうで、いろんなものが散乱しているので、いろいろ気が散って全然できないし、目にも入らない。ものが多すぎるのだ。

「完了」しないと「めんどくさい」

そのことに気づいてから「完了」しないと「めんどくさい」ということに気づいた。そしたら、自分が何かをしたら、「完了」までしないとめんどくさいので、自動的に完了までやるようになっていった。すると、自動的に部屋が片付くようになった。常にだ。整理されていないと気持ち悪いので自動で整理してしまう。コーヒーを飲み終わったら、コーヒーカップを自動で洗ってしまう。

リタリンを飲んだ時

15年ぐらい前だろうか? ADHD と診断されたときに当時は合法だった「リタリン」という薬を処方されて飲んだ時は衝撃的だった。「これが普通の人の感覚なのか!」というのを一時的に体験できた。

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その時に起こったのが今回と同じ現象で、自動的に片づけてしまって、何か曲がったりしていると気持ち悪い感覚。まさかこの感覚が薬も飲まないで再現するなんて夢にも思わなかった。今回部屋が自動で片付いて、外に出かけるときに「鍵」を一切探すことなく手に取れた時は自分に稲妻が走ったような気分だった。

「整理」までが「完了」という感覚

「完了」しないとめんどくさい感覚ができて、頭が片づけで整理されていったときに、頭をよぎったのが、「もしかして自分は、ADHD だから整理が出来なかったのではなく、整理が出来てないから ADHD 症状が出てたのではないか?」という考えだった。

自分はもちろん PC の中もぐっちゃぐちゃだ。メモとか取ってるしブログも書いているけど整理されているとはとても言い難い。メールも返信できてないし、GitHub の Issue や PR もちゃんとさばけてるとはとても言い難い。もしかして、あらゆる作業、例えば技術調査や、クラウドにクラスタをデプロイする方法を検証するとか、メールに返信するとかは、すべて「完了」していないからぐっちゃぐちゃになっているのではないか?では、何が「完了」なのだろうか?それは、多分「整理されていて、検索せず取り出される状態になっていること」までやって「完了」なのだ。

整理されて、検索せず取り出せる状態までで完了

このアイデアを思いついてから、「整理の技術」について学びたくなった。家の片づけとかではなく、PCの中身の整理。そしたらこの本はまさに望んでいた内容の本だった。そしてこの本にも「整理が出来ていないから、頭の中が整理されないし、仕事ができない」と述べられていた。だから最初は「机の整理」からだった。この本を参考に具体的に整理を始めていった。

全ての行動した時間を OneNote に着ける癖をつけるだけで、大幅に効率が改善されたが、「完了」つまり、「整理されていて、忘れきっていても、検索せずものを取り出せる状態」にするために時間を投資することにした。そこまで含めて「完了」感覚で技術的タスクをこなすようにしてみたら、恐ろしいほど高率がよかった。技術的には躓いたりしているので、本質的な頭のレベルが上がったとかではないが、「コントロール出来てる感」が物凄いし、作業を再開したときも普段なら「検索、思い出し」にかなりの時間が使われるのが全くないので爆速でスタートアップできる。

「整理する」への投資の威力

そして、「整理する」のは時間がかかるが、頭が整理される。だから、いろいろな「細かいこと」が気になってくる。「あれ、このパラーメタ理解してないな。どういう意味だろう?」「 Windows で出来たけど、Linux だとどうやるんだろう?」気がづいたら普段自分がしないようなすべてのコマンドのパラメータの意味の調査や、コンセプトの調査をしてた。

今までは例えば、Kafak クラスタのデプロイだったら、「Kafka クラスタをデプロイすること」を最速に行おうということにばかり気が行って、確かに今より早く出来たように見えるかもしれないが、自分的には技術イケメンと比べて「なんか理解が浅いよなぁ」と常に思っていた。しかし、今はめっちゃコントロール出来ている感がある。さらに、「その技術をコントロールできるまで」を「完了」にすると、もしかするともっといい技術者になれるかもしれない。これも今まで味わったことのないコントロール感だ。

まとめ

「完了」の重要性と「整理」のレバレッジの高さと重要さに気づいてから、自分のADHD症状はゼロになったと言っても過言ではない状況になった。これはリタリンを飲んで以来の衝撃的な状況だ。机や、PCが整理されていると、クロームのタブの数も少なく、気移りがしない。終わったらタブを閉じる。なぜなら探さなくても情報をすぐ取り出せるから。頭も整理されている。

 まるで違う人間になったように生産的あったが一方、アニメなどを楽しむ余裕もあったし、しっかり運動もした。仕事以外のタスクもしっかりこなせた。これが本当に望んでいた「コントロールされた状態」だ。

 しかし、本当の「完了」はきっと数か月経ってみないとわからないだろう。習慣になって、これが継続したら、今年は自分の人生を苦しめていた最大の課題が消えることになる。夢のような気分だ。しかし、今回確信がある、多分これは本物だ。少なくとも自分にとっては。


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