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働き方の大転換:新たな紀元の始まりか?

2週間ほど前に、The Economistのアフターコロナのオフィス環境は変わるのか?という記事を共有しましたが、今回はオフィスの必要性を含めた働き方そのものの変化の可能性を論じた記事です。上手いなぁ、と思ったのが、紀元前(BC)と紀元(AD)をBefore Coronavirus(コロナ前)とAfter Domestication(在宅勤務化)と読み替えて、新たな時代の幕開けを表現しているところ。一方、結論でチラりと、100年前は誰もが家や家の周辺で仕事をしていたのだから、今回の流れはBack to normalにすぎない、とも言っています。オフィスの歴史って、実は短いんですね。

英語原文は、以下からどうぞ:

以下、マイバージョン和訳です:

新たな働き方の時代に突入:
BC(コロナ前)からAD(在宅勤務化)へ
2020年5月30日

3月16日、このコラムを担当する私は会社を出て帰路につきました。この日が、The Economist編集部スタッフ全員がロンドンのオフィスに集まった最後の日でした。この記事を書いている時点で、出社再開の目途はまだ立っていません。

私たちは、新しい働き方に驚くほど速く順応しました。今や、The Economistはソファやキッチンのテーブルで執筆、編集、制作されています。1月や2月はもう大昔のように思えます。紀元前(BC: Before Coronavirus)から新たな紀元(AD: After Domestication)に時代が移ったかのように。この大転換は、19世紀から20世紀への移行期に起こった職場の大変革に匹敵するかもしれません。Twitter社はすでに、今後すべての従業員に無期限の在宅勤務を許可すると発表し、Facebook社は10年以内にスタッフの半分が在宅勤務になると予想しています。

今般の大転換は、前世紀初頭の工業化の時よりもはるかにハイペースで進行しました。蒸気による動力の活用のためには、工場が1つの巨大な発電システムを中心に設計される必要がありました。工場の中をベルトコンベアや滑車が蛇行し、システムのどこかで障害が発生すると、工場全体が停止に追い込まれました。その後の電化の発展で、個々の機械がそれぞれ動力源を持つ工場が誕生するようになりましたが、それは1880年代に電力が導入されてから半世紀も後のことでした。

今、起こっている「新たな紀元」への急速な移行は、前提条件が整っていたからこそ可能となっています。第一に、現在のブロードバンドサービスは、文書のダウンロードやビデオ会議にも十分対応できる速度があります。第二に、先進国の経済は製造業ではなくサービス業が中心となっています。1970年代、英国が週3日制を採用したとき(これは鉱山労働者のストライキに対抗するためでした)は、停電が発生し、テレビ局も放送時間を切り上げざるを得ませんでした。つまり、市民生活にも大きな影響があったのです。今回のパンデミックでは、そうした混乱は起きていません。

それだけではなく、リモートワークが当たり前に受け入れられるようになりました。以前は、家で仕事をする従業員にはサボっているのではないかという疑いの目が向けられました。今では、出社の必要性を主張する人たちは鼻持ちならないと思われています。

もちろん、失われたこともあります。ビデオ会議は対面での会議のような即興性から生まれるテンポの良さに欠けています。ソーシャルディスタンスは仲間意識の醸成にはマイナスです。創造性も生まれにくいかもしれません。トレーニング会社のMind Gymのオクタビウス・ブラック氏によると、新しいアイデアは人々のネットワークが緩くつながっているところから生まれます。このような「何気ない出会い」が今では稀になっています。

オフィスがなくなるわけではないにしても、働き方がBC時代に戻るとは思えません。一世紀以上もの間、働く人々は週に5日、通勤のために満員電車やバス、あるいは交通渋滞を我慢してきましたが、この2ヶ月間は通勤から解放されて清々しています。

会社側にも利点があります。これまでは従業員を一か所に集める必要があったため、都市の中心部に高額なオフィススペースを構えてきました。賃料だけではありません。清掃費、光熱費、オフィス機器、ケータリング、セキュリティなどのコストもかかります。在宅勤務なら従業員が光熱費や食費を負担します。

多くの企業と従業員が、コロナ禍で発想の転換を経験したと思われます。オフィスありきの考えは古いものになりました。そう考えると、人々が集うオフィスは不可欠だという考えが復活することはないのかもしれません。

AD時代のもう一つの側面は、週5日勤務の消滅かもしれません。パンデミックの前に、すでに多くの労働者は週末に電話をかけたり、メールに返信することに慣れていました。AD時代は、プライベートと仕事を分けたり、ストレス解消に有効な方法を見いだしたりするのはもっと難しくなるでしょう。

週5日制が完全になくなり、月曜から金曜までの通勤がなくなれば、週末の概念はますます漠然としたものになり、同様に9時から5時までの勤務時間もあいまいなものになるでしょう。将来は、好きな時に仕事をし、好きな時に休憩を取るようになり、時間的拘束はビデオ会議だけになる可能性があります。その反面、生活のリズムが乱れるので、新しいルーチンが必要になりそうです。英国のポップグループMadnessの「Baggy Trousers(バギーパンツ)」で歌われているように、人々は「ありきたりな日々に変化をもたらす違うやり方」を試すことになりそうです。

さらに先を見れば、AD時代は別の変化ももたらすかもしれません。通勤の必要がなくなるので、住居費が安い小さな町に引っ越す人が出てくるでしょう。会社という逃げ場がなくなった男性にとっても、掃除や育児をサボるための言い訳が減るでしょう。でもこの状況は、実は「リターン・トゥ・ノーマル」だとも言えます:19世紀までは、ほとんどの人が家かその近くで働いていたのですから。それでも社会史の研究者は、2020年を新しい時代の幕開けとみなすことでしょう。

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日本でも多くの人が、このコラム記事の筆者と同じように感じるのではないでしょうか。コロナ前から始まっていた「働き方改革」を大きく進めるチャンスだと思います。



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