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意味のある目標より、「意味のないマイルール」に従ってみたら、上手くいくんじゃない?


子供の頃、横断歩道を渡るとき、「白いところだけ踏んだら天国! 黒いところ踏むと地獄に落ちる~!」などと言って遊んでいたことはありませんか?

先日、友人である数学お笑い芸人のタカタ先生と、以下のような対談をさせていただきました。(このnote記事の文末にも再度リンクを貼るので、後で読んで頂くのがいいかもしれません。)

このDIME記事の後半で出てきた話が、子供たちに「素数探し」をさせたら、みんな夢中で素数を探し始め、見つけた時の熱狂度がハンパなくて収拾がつかなくなった、というもの。

僕はこのエピソードに大共感するとともに、大人も、意味のないマイルールを持つことがとても重要だと改めて思い始めました。

横断歩道の白いところだけ踏んだら天国に行ける。
適当に言った数字が素数ならGood。
どちらもまさしく意味のないマイルールです。

仕事には、数値計画や個人的目標が存在します。個人事業でも会社でも、利益を上げて、お客さんに価値を与えないといけません。これらは「意味のある目標」であり、もちろん大切です。でもそれが根本にあることで、社員の管理や評価などが発生し、その中で人間関係ストレスや嫉妬心が生まれたり、精神的プレッシャーに襲われたりすることもあります。当たり前のことかもしれませんが、本心では辛い人が多いはずです。

そこで僕が提案したいのが、

意味のある目標だけじゃなく、意味のないマイルールも持ってみたら、上手くいくんじゃない?

ということです。


一つ、たとえ話を挙げます。

僕が中学生の頃、一人の女子が「シャーペンの芯を出すとき、奇数回ノックしちゃうと失恋するんだよ。2回とか、偶数回ノックすると恋愛が上手くいくよ。」と言ってきました。

何かに載っていた「おまじない」のようなものだったんだと思いますが、それから僕は何となく、芯を出すときは2回ノックするようにして生きてきました。結婚して、もうすぐ40歳になる今でも、もしシャーペンを使うなら2回ノックします。そしてそのたびに、恋愛が上手くいくという話が頭に浮かびます。完全に信じていたのかどうかはよく分かりませんが、とにかく、ずっと続けていました。

子供の頃、そうやって芯をノックしていた数秒間、僕は幸福な気持ちだったと思います。これをやればやるほど、恋愛で成功する確率を高めているんだ、と、完全に本気じゃなくても、気持ちがプラスの方向に動いていたことは確かです。

恋愛経験がほとんどなかった僕は、時がたって30歳の時にお見合いパーティのくじ引きで最初に隣の席になった女性に2か月後にプロポーズして結婚しました。まさに運命の出会いであり、幸運だったわけですが、今思うと、この結果に、長年シャーペンの芯を2回ノックしていたことが、全く関係ないとは思えないのです。シャーペンのノックというスイッチを押し続けた結果、自分はいずれ恋愛で上手くいく運命にあるのだということをどこかで信じるようになって、それが行動やコミュニケーションに現れたのです。


ここでひとつ、今これを読んで下さっている皆さんの中に、この「note」を続けて書いている方がいたら聞いてみたいのですが、なぜ続けていますか?

純粋に「意味のないマイルール」として、ときどきnoteを書こう、みたいに思ってやっている人もいるかもしれません。みんな最初はそうかもしれません。でも想像するに、noteの更新を続けられている多くの人は、「誰かに読んでもらって評価されたり、つながりができたりしたらいいな」とか、「自分の文章力や創作力が上がったらいいな」みたいなことを思いながらやっていくようになるのではないかと思います。(ちなみに僕もそのような理由で書いています。)

僕たちはいつも意味を求めています。
それはもちろん良い事です。悪いなんてことはありません。でも、もし自分の書いているnoteが何かのきっかけでバズって、読者が増え、Twitterなどでも賛否両論の評価コメントが増えてきたら、どうなるでしょう。

おそらく多くの人は、嬉しい反面、ペースを乱されます。自分がコントロールしていた創作の内容や発表頻度を周囲にコントロールされ始め、知らず知らずのうちにストレスが増えていくかもしれません。

「こんなことを書いたらスキが増えそうだな」とか、「ヤバイ、3週間も書いていない、どうしよう…」とか。そうしているうちに、人によっては、せっかく純粋に楽しかった活動から、幸福感が少しずつ減っていってしまうということも起こり得ます。(僕はそうなったら絶対にそうコントロールされていく自信があります汗)

同様に、社会人になって仕事を始めた当初は、仕事を純粋に楽しみに思いながら働くことも多いでしょう。しかしそれは次第に、会社のノルマを達成しなければならない、良い評価が欲しい、怒られたくない、などなどの現実的邪念によって汚されていきます。もちろん、仕事の目標を必達するという気概はとても重要なことですが、辛くなってしまうのは良くありません。

意味のある目標だけを指針にするより、意味のないマイルールも持っていた方が、上手くいく。断定してもいいです。


例えば、僕が今まで開発に携わってきたおもちゃの商品名を振り返ってみると、いろいろな文字数のものがあります。

猫背(ねこぜ)→3文字
simpei(しんぺい)→4文字
3億円(さんおくえん)→6文字
∞プチプチ(むげんぷちぷち)→7文字
VRケーキ(ぶいあーるけーき)→8文字
民芸スタジアム(みんげいすたじあむ)→9文字
Human Player(ひゅーまんぷれいやー)→10文字

そうすると、「あ、5文字の商品名のものは一度も作ったことがないのか…」ということに気が付いて、じゃあこれから商品名が5文字のものを作ることを目標にしよう! という意味のないマイルールを設定して企画を考えると、たぶん新しいことを思いつきます。
真っ当な目標だけを指針に新しいことを考えようとすると、頭が真っ白になります。それは、「真っ当な目標」と「新しいこと」というのが、ある意味逆のことだからです。意味のないマイルールを併用した方が、全く新しい商品開発を実現させられることもあります。

「売れるものを作らなきゃ」「やりたいことをやらなきゃ」というように、意味を求めると、思考停止して動けなくなることが往々にしてあります。まず動き、純粋に楽しむために、時には意味を忘れることも必要なのです。考えてみると、今流行りのアートシンキングや、宗教思考も、似たようなものなのかもしれません。


では、
意味のないマイルールを作ってみよう、と思うと、これがなかなか難しいということに気づきます。

例えば、「意味を求めないで、毎日1人、新しい人に出会う」というマイルールを設定しよう、と思ったとします。これは、意味を求めています。毎日1人と言っている時点で、達成できないと「ダメだった」ということになるし、人に会うというのもいい事がある根拠になり得ます。

意味のないマイルールの条件は、

1.それで直接の利益を得ようとしていない
2.達成できなくてもダメージも罪悪感もない
3.頻度、回数、獲得数などの数値目標がない
4.根拠がないのに、いい事があると信じられる


などです。本当に「おまじない」程度のことがいい。
5文字の商品名のものなんて、一生作れなくてもダメージはありません。でもなんか、揃ったら、いい事がありそう、というくらい。

自分の頭をなでる、先祖の写真にありがとうを言う、小声で「うし!」と言う、などが、僕もやっている意味のないマイルールです。

そして、実際にやっている、ちょっと独特なマイルールが、

商品を作るたびに、そのエピソードを1本の落語にする

というもの。

もちろん、商品は売るために作っています。でも、それが売れても売れなくても、「開発途中でこんなことがあった」「こういう理由で売れなかった」「でも次に作ったものは、その10倍売れた」「お客さんがこんなことを言った」というような話を、笑える落語にしたいな、と常に思いながら仕事をしています。売れる商品を作るという意味のある目標にとってノイズになるかもしれません。でも、八っつあん熊さんが商品開発をする話をいつも想像しています。当面誰にも聞かせる予定はありません。

大学時代4年間、落語研究部に所属して、もし自分に笑いのセンスがあったら、落語家になりたかった。でも落語で人を笑わせる力量がありませんでした。だから、いつか、ビジネスの成功失敗エピソードを1本1本話して、人を笑わせる落語家になったら面白いかもな、と、ちょっぴり思いながら生きています。

ちょっぴり思っているだけで、叶わなくても構いません。落語が役に立つという説明もできません。僕が純粋に続けられる、意味のないマイルールです。でも、何を作って、どんな失敗・成功をしようとも、そのエピソードの中にある笑えるオチを探して、落語にする。それが、まわり回って自分の仕事に良い影響を与えているのだと信じています。売れることだけを目標にするよりも、仕事を幸せにしてくれているのだと。



※参考記事 ↓


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