見えないバトン

 高校時代に天才と呼ばれた同級生がいました。僕の高校は公立の上位校なので、学校そのものは全国レベルでは大したことないのですが、その同級生はダントツの1位であり、文系理系どちらの科目も強く、文理コース選択で理系クラスを選択したときは、人数割り振りの関係で学校側から打診されて理系クラスに入ったと噂されました。受験しても十分合格できたように思いますが、学校の推薦枠で最難関私大に入りました。

 僕は徹底的に文系人間で、学校の理系の成績は悲惨でしたので、私大文系に照準を絞り、結果的にはその同級生と同じようなレベルの大学に入ることができましたが、在校中は足下に及ぶこともなかったという印象しかありません。

 その後、大学に進み就職し、しばらく忘れていたのですが、20年ぶりぐらいにクラス会があり、そこで天才同級生の話題が出て、仕事中に倒れて亡くなったと聞き、驚きました。

 大学卒業後、シンクタンクに就職したそうで、たまたまそのシンクタンクに知り合いがいましたので、同級生のレポートを読む機会がありました。難しい社会保険の仕組みについて、わかりやすく解説しているレポートであり、難しいことをわかりやすく説明することの大変さを、日常の仕事で痛感している僕としては、頭の良さは相変わらずだなと思いました。

 僕自身、高校時代にもその後にも接点がなく、ただ、同級生が亡くなった後にレポートを読むことで、その輝きの片鱗を見たように思います。それからさらに7年の歳月を経て、その分、長生きしたことになります。とはいえ、まだ、彼女に追いついてはいないし、追いつけそうにもない。能力や才能に恵まれ、未来を嘱望されながら、中途で病魔におかされて亡くなった人を何人も見てきました。亡くなった人たちは、僕に形のあるバトンを渡したつもりもなく、僕も実際、受け取ってはいないのですが、その人たちから影響を受けて今の自分が成り立っている面は確かにあり、見えざるバトンを受け取り、僕自身、未来ある限りの推進力にしていきたいと思います。

 今日はとてもしんどいイベントがあり、そこに心奪われ、昨日はまたしても途切れてしまいました。毎日、僕の中でのバトンをつなぐことのシステム化も、やっていかないといけないと思います。

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