思い出の危機
家で長年使用していた、外付けハードディスクが動かなくなってしまいました。
そもそも、ハードディスクを15年も使い続けたことに、問題があったと言えますが、ある意味、家の棚の奥にあって、バックアップ用に時々稼働している状態の、自己主張をしない機器でしたので、ある時、「あれ、電源が入っていないな」と気づいた次第です。
電源アダプターの問題かと思い、買い換えましたが、相変わらず電源が入らない。ハードディスク側で何らかの不調、電源部分の接続不良、あるいはハードディスク自体が破損した、ということのようです。
最悪、ハードディスクが破損しているとなると、データの救出が必要になります。少なくとも、4~5万円は覚悟しておく必要がありそうです。
たしかに、家族の思い出はこのハードディスクに詰まっており、データ救出は、お金には代えられない問題、ではあるのですが、一方で、復旧しても、どこまで見るのか、という思いもあります。
思い出を写真で振り返ることは、ないわけではありませんが、膨大に蓄積されたデータを、見返す時間は、今のところないし、昔の写真は、たまたま出てきたとき、懐かしく見ることはあっても、しょせんは過去の思い出。
今の自分に連なる思い出であることは確かですが、いろんなものが移ろっていて、写真にある僕は、今の僕ではありません。そこにある僕が仮に幸せそうでも、それが今の僕を幸せにするわけではない。
そう考えると、完全に失われても、致命的ではないのかなという気がします。いずれ、自分がこの世からいなくなれば、無用になるデータであり、今、復旧させても、20年ぐらいしたら、終活の一環で、自分で処分が必要になります。膨大なデータの選別などはできないでしょうから、その際には一切を削除することになるのでしょう。
今回のことを契機に、家という不安定な環境に、長期保存が必要なデータを持っていること自体がリスクであり、ネット上にレンタルサーバーを借りて、そこにぶち込んでおいたほうが確実ではないかと考えるようになりました。15年前のネット環境では、そうした発想はありませんでしたが、時代の変化にあわせた見直しをやってこなかったということですね。
今回は、突然のことで、家族の強い要望もあり、まずは復旧を試みてみますが、今後のデータ保存については、リスクが少なく、関係者がいなくなったときに自動的に削除されるような仕組みに乗り換えられないか、考えてみたいと思います。
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