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 昨日は阪神・淡路大震災から28年でした。
 僕の学生時代に起きた、この震災も、四半世紀が過ぎ、当時、社会の第一線にいた人たちは大半が現役を退いています。
 1995年というのは、バブルが崩壊し、日本の絶頂期の余韻が去りつつありながらも、冷戦終結後、唯一の超大国アメリカ主導による大国間の国際協調体制に移行し、これからは地域間紛争だけしか起こらないような雰囲気があり、ロシアや中国の存在感もまだまだ小さく、言ってみれば小康状態にありました。
 その後、日本経済は長きにわたり低迷し、その間に多くの国に所得水準を追い抜かれ、世界に誇る日本企業の技術力もガラパゴス化して、世界のスタンダードから取り残されていきました。
 災害についても、世紀が変わると東日本大震災をはじめ、甚大な気象災害に毎年悩まされるようになりました。阪神大震災の時は地元自治体の半ば自己責任による復旧復興を求められ、兵庫県などはその後も重い負担に悩まされましたが、その後の災害対応については、日本の財政ファイナンスが後の世代のことを考慮しない、野放図な状態になったことで、基本は国が災害復旧・復興の財政的な責任を負う構図に変化しています。
 こうした過去の大きな出来事を振り返ると、今を折り返し点として、同じ年月が経過すると自分はどうなっているのかを、考える契機になります。28年後となると、自分の人生が続いているのか、確信が持てませんし、世の中の変化も、想像しがたいものがあります。
 ただ、既に確定事項となっている種々の条件を勘案すると、未来を楽観することはできません。今の恵まれた条件を所与として人生設計することなく、時代を乗り切るための自己変革に取り組んでいきたいと思います。

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