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燃料切れの時の希望提供

 昨日は母のところのフォローに行ってきました。今週は心身ともに疲労が蓄積し、週明けがフルスロットルであることを考えると、できるだけ心身のゲージを回復させておきたいところですが、
数日前に母からヘルプの電話があり、行くと話をしてしまったことや、やはり毎週行かないと、認知の低下が進んでしまうことから、体に鞭打ち、一通り買い物をして、母のところに向かいました。

 行けば母の青い鳥探しの手伝いであり、自分の周りしか見えなくなっている母の、自己中心の極みのような発言を聞き流しつつ、少しでも希望を感じられるようなネタを、僕の中から絞り出して提供する、
そこに前向きな要素はなく、親孝行のための時間と割り切るしかないわけですが、心身のスタミナのゲージがないときは、そうした言葉を受けとめる余裕に乏しく、苦しくなり、防衛反応としてつい口ごたえしてしまう。

 口ごたえは、相手に受けとめる器量があってこそ、意味のある行為であり、そんな相手にさえも、よほど高い目的意識を共有している仲間でない限り、実りあることにはならないわけで、母との間においてこれを行うと、そこまで使ってきた希望提供の時間を、水に流して悪い気持ちだけを残すことになってしまいます。

 やはり余裕のないときには、むしろ顔を出すべきでないなと思いつつ、それはそれで現実逃避であり、出さないことでさらなる事態の悪化も招きかねない、その結果を受け止めるのは自分しかいない、ここは、自分のメンタルのコントロール力を高めるしかないですね。

 今のような、厳しい局面は、川の水が干上がり、川底にある、自分がこれまで忘れかけていた、僕の人生の中で痛みを与え続けている、負の石塊が露呈している状態ともいえ、荒涼たる光景は、自分の人生を見つめ直す契機にはなります。

 自分の人生を全肯定できるよう、僕なりに手を尽くしてはいるのですが、母のことを捨て置いて、全肯定などできるはずもないし、そもそも、今の生活がすべて借り物であるから、どこかで僕の本当に姿を手に入れないと、いずれ仮面は溶けてカラッポの、中身のない型枠の残骸だけが、残ってしまいます。

 平穏は、水量豊かな川の流れのように、心の暗い部分を覆い隠すので、なんとかなるかもと、自分の心を騙せますが、日々のルーティンが崩れると、それらが剥がれやすい安物のメッキに過ぎないことを、痛感します。

 むろん、こんな魂の叫び、リアルの自分が周囲に開陳するわけにもいきません。そんなことをすれば、周りの人を困惑させるだけ、強がるしかない。明日も強がりの自分を押し出す一日になるでしょう。それで、頼りになる、さすがだと思わせて、自分のイメージを壊さないようにやり過ごす。

 そういう意味では、この場所は気兼ねなく、心を吐き出すことができる、それだけでも万金の価値があると思います。

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