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他者と共有する時間を大事にする

 このところ、母の精神状態が安定しています。
 もちろん、年末を控え、急激に荒天になる可能性もはらんではいますが、この年末は、ある程度、僕がコミットして、母とは一緒に過ごす予定です。
 やはり、年末年始は気持ちがすさむから近づきたくないし、僕自身も年末年始ぐらい、自分の時間にしたいと思うと、その気持ちが何となく伝播し、荒れ模様になります。
 年末年始といっても、年越しそばを一緒に食べ、老眼鏡の買い替えをサポートし、年越しは母の住まいで寝て、元旦は父のところに墓参りに行く、それ以外の時間は、コワーキングスペースで僕のやりたいことを進める、そんな感じで、時間をフルに使わなくても、大事な時間を共有することで、この年越しは母に少しでも平穏な時間を提供したいと思います。
 他者と共有する時間、これが、最初から楽しい時間であれば、全然問題ないわけですが、一緒に過ごさざるを得ない、そこまでいかなくても、消極的に時間を共有する、いわゆる「つきあい」といった範疇になると、時間として勿体ない過ごし方だなあと思ってしまいます。
 同じ面子との飲み会なんかは、その最たるものという気もしますが、考えてみると、これまで何度も会ってきた人であり、それがいかに苦手な人であったとしても、最後の出会いかもしれないんですよね。じっさい、何気なく会話して別れた人が、その後に亡くなったということは、僕自身も何度か経験しているところです。
 母に対する接し方という点では、年齢的にも、そうしたことを心の底において、共有する時間を大事にしていきたいと思いますし、それ以外の人との時間の共有についても、少なくとも心がけとして、この人との今生のご縁はこれが最後かもしれないと思い、相手の心に残るような、気を入れた対応をするよう、肝に銘じておきたいと思います。

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