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個別指導塾の教室長

 子どもの通っている個別指導塾の教室長が療養休暇に入って復帰のめどが立たないため、新しい教室長が今度赴任してくるという連絡がありました。
 春に面談をした際には、若いけれどもやる気に溢れていて、子どものこともよく見ているなと感心し、実際、できたばかりの教室で、立ち上げに主導的な役割を果たしていましたので、将来を期待されているのだろうなと思っていましたが、頑張り過ぎてしまったのかもしれません。
 今振り返ると、面談で話をするときには、非常に明快な受け答えをしていましたが、時々、日程の変更などの連絡に対応できていなかったり、塾内試験の申込ができていなかったりして、こんなにできる人なのにおかしいなと思った出来事がありました。
 何とか気を張って体面を保っていたものの、内面はギリギリの状態にあり、それが事務ミスとして表れていたように思います。
 僕は個人指導塾のメカニズムは何もわかっていないため、もしかすると違うのかもしれませんが、僕から見ると、個人指導塾の教室長は、児童・生徒一人一人の学習状況や目標に対してロードマップを描き、保護者に提案し、同時に、児童・生徒との適性を見極めたうえで、最終的にはどの講師に教えさせれば良いかを決めているようです。
 ただ、講師も人間である以上、仮に相性とか教え方で児童・生徒の保護者から苦情がきて、チェンジをしなければならない時などは、モチベーションをなるべく維持するように話をする必要もあるでしょうから、単なる数合わせでないマッチングに係る調整作業は相当大変なはずであり、一律の進度ですすめていく、教室形式の塾の教室長に比べると、負担は相当なものがあるように思います。
 当たり前ですが、自分以外の人の仕事は、何となく大変そうだとか、楽そうだとかいう、表面的な印象ぐらいは持つことができても、しょせんは他人の話であり、それ以上の深入りはしません。ただ、基本的には自分が一番大変という認知バイアスがかかっているため、同レベルの大変さであれば、間違いなく自分の方が大変だと思うことでしょう。
 今回の教室長の療養休暇というのは、子どもの学習に影響があるので、どうなったのだろうと気をもんでいたところ、そうした情報が入り、一旦はその人の仕事の大変さに思いを致したものの、明日になれば、自分の目の前の課題を取り組むことに没頭し、自分が一番大変という認知バイアスによって、その思いは薄れてしまいます。
 であれば、せめて、自分のエゴの世界に心が取り込まれる前に、これまで子どもがお世話になった、今はお休みしている教室長が、重しを取った状態で心の回復を図り、復帰して無理ないところで能力を生かすことができるよう、他人に幸いを念じたいと思います。

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