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アクリル板一枚

 個人と個人、集団と集団の間で、お互いの本心というか、落としどころと考える、本音のところは、かなり近いところにある。だけれども、相手の本心がわからないから、今はそうした落としどころを伝えるわけにはいかない、ということは、世の中に少なくないと思います。
 これって、双方の手の内を理解している、第三者的な立場の存在からすると、えらくもどかしいことのように思います。
 江戸時代に火付けをした八百屋お七が、お七を助けたい奉行の心を知らず、火あぶりの刑に処せられた話がありますが、心を通じ合えない関係にある人間同士、集団同士は、相手の外形的な情報にどこまで通暁しても、両者を取り巻く世界はアクリル板によって分断され、相手の心の声を聞くことができません。
 人間、全てに超越的な存在となることはできませんが、限られた場面において、立ち位置から、超越的な役回りを果たすことはありえます。
 とはいえ、双方に伝えたところで、漠とした伝え方であれば、疑われて相手にされないこともあり、逆にあまり踏み込み過ぎると、超越的な立場を失うどころか、自身の立ち位置とか信頼を揺るがすことにもなる、
 この役回り、なかなか難しく、かといって、いつまでも手をこまねいていては、事態は変化し劣化してしまい、事態打開のタイミングを失することにもなる。どこかのタイミングで、対岸に飛び移る覚悟が求められるように思います。時限的な超越者もまた、試されているといえます。

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