見出し画像

恩返しの鎖を感じつつ母の住まいを探す

 昨日も休みを取って、弟と二人で母の住まい相談に応じていました。

 母は有り金を全部はたいても、もと居た地域に戻りたいということを主張しているのですが、お金の問題ではなく、高齢者が一人で住まう家を探すことが大変であり、特に、もともと住んでいた地域はターミナル駅のすぐ近くの閑静な住宅街で、不可能に近いわけです。

 母の住まい探しにあたっては、自分に理解するように説明せよと、判断は押し付けるなと言うわけですが、母の「理解」には、多分に理想の住まいとのギャップを埋める努力がつきものであり、普通に探してきて厳しい現実を伝えることは、「絶望」を与えるものとして受け付けないわけです。これも我々兄弟にとってはこたえます。

 とにかく、父がいなくなった寂しさゆえの無茶ぶりの繰り返しであることは、確かなんですが、立ち直ろうとしない母に寄り添うには、相当なエネルギーが必要であり、社会人として仕事の重責や子育ても抱える身としては、いかに恩義ある親のこととはいえ、体がもたないです。

 とはいえ、投げ捨てて放置、というわけにもいかないので、数少ない高齢者物件を探し、そこに住まうに値するか、見極めるところから始める必要があるかなと思います。

 候補となる物件がみつかると、立地条件、間取り、周囲にどんな人が住んでいるか、など、あら探しをしてダメにしてしまうことを繰り返してきており、間取りなどは、言うたびに違うので、どんな間取りだと母は良いのかは、実はその基準を持っておらず、その時々の思いつきの発言は、まったくあてになりません。

 とにかく、何度でも候補の物件に足を運び、自分の理想とする住まいであるか、実感してもらうことが大事です。

 現状としては、本当は、一番母にとって良かったのは、父と住んでいた持ち家に住み続けることであり、これを不動産会社のチラシ攻勢を真に受けて、早く売ろうと騒いだ母にまともに対応したことが、今となっては反省材料です。

 次に良いすまいは、今のURの高品質住宅なのだと思います。セキュリティや住まい環境は特に問題なく、大きなスーパーに行くのにバスに乗る必要がありますが、バス停はすぐそば、バスは数分おきに走っており、これを「不便な場所」と言い放つわけですから、理想の住まいを求めんがための、難癖としか言いようがありません。

 ほかの候補物件は、仮に今後、見つかることがあるにせよ、この2つの物件より総合的に良い物件は、おそらくないと思います。

 二言目には、「自分はなぜ、住まいにここまで苦しめられるのか」というわけですが、たしかに一面の真理はあります。

 それは、前の持ち家が立地条件があまりに良すぎて、すぐに高値で売れてしまったためであり、売れなければそこに住まい続けるしかなかった。

 じっさい、一人になった人も認知症にでもならない限りは、長年慣れ親しんだ家に住み続けているわけです。

 住んでいたときは住んでいたときで、管理組合の役員が回ってくるとか、修繕工事が増えてくるのでその前に売り払いたいという強い意向があり、売却に動いたわけですが、今となればその手際の良さが、さらなる袋小路に我々兄弟を追い込んでいるように思います。

 親の恩義は大きいですが、お金に換算できない分、返し終わったということがないので、それを人質にされると、きついものがあります。

 高齢者になると、自分の周囲しか見えなくなり、記憶も都合よく改変され、幼児帰りしている、そこを対等の親だと思うと、つい激してしまうわけで、こちらにも、それなりの「狡さ」がないと、恩返しの鎖に振り回され、疲れ果てて共倒れになる、世の中、こうした事件は後を絶ちませんが、こうやって当事者になってみると、介護などで一人追い詰められ、罪を犯さざるを得なかった人の気持ちも、わかるような気がします。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?