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スーパーでのレシート確認を縁に思う

 週に一度は買い物に行くスーパーがあります。

 引っ越してからは、実はこのスーパーの別な店舗のほうが、家からは近いのですが、このスーパー、店によって商品の品ぞろえが異なり、同じ商品でも価格が異なるので、この品ぞろえと価格の両面で、前に住んでいた家の近くの店の方が自分には合っていて、そこまで足を運んでいるわけです。

 この店は、周辺に昭和のたたずまいの団地があり、そこに住んでいると思しきお年寄りも多く買い物に来ています。こうした年金暮らしのお年寄りが多いという客層も考慮し、価格も低めに設定してあるのかもしれません。

 こうした良心的なお店なんですが、最近、セルフレジの出口では、レシートの確認を求められるようになっています。

 たしか、1年ぐらい前に、有人レジ主体であったこのお店に、セルフレジが導入され、今は有人レジは1台のみとなっており、切り替え直後はセルフレジの勝手がわからないお年寄りが有人レジに集中して大混雑していましたが、その後、セルフレジの使い方を店員が丁寧に教えることで、お年寄りもセルフレジに慣れ、有人レジの列もだいぶ短くなっています。

 セルフレジ化は、人手不足のスーパーやコンビニでは当たり前になっており、見慣れた光景ですが、そのセルフレジの出口で、レシートを確認しているというのは、同様にセルフレジ化が進んでいる、このスーパーの他の店舗では見られないことであり、店員さんに、「大変ですね、やはり未精算が多いのですが?」と聞くと、「あっ、はい。結構ありまして。」との返答がありました。

 確かに、セルフレジというのは、品詰めが意外と難しく、つまり、買い物をしているときは、かごの下の方に牛乳とかヨーグルトといった重いものを入れていて、真ん中が納豆とか野菜、お肉など、そして一番上にイチゴやぶどう、卵といったデリケートに取り扱う商品を置きます。

 この順にセルフレジにかけると、今度は家に持ち帰る保冷バッグなどへの入れ順が逆になってしまうため、イチゴなどは一時的に別な場所に退避させるなど、セルフレジの狭い区間でのオペレーションは、意外と大変だったりします。

 また、お年寄りが特に多い地域でもあるので、何となく1品ぐらい、レジを通さずに持ち帰ってしまった、ということもあるかもしれませんが、わざわざ人を配置して、客にとっても煩わしいレシート確認をしているということは、こうした、店の商品の棚出し?と、実際の売上に、無視できないほど大きな乖離があるということなのでしょう。

 あるいは、明らかに過小に精算している常習犯的な人がいるので、そうした人を実質的に締め出すためにやっているか、わかりませんが、いずれにせよ、店側、客側双方にとって、余計な手間であることは確かです。

 考えてみると、世の中、一部の人の不届きな行動により、手続きが煩雑になったり、利用禁止になったりすることは、少なくないように思いますが、そうやって人に迷惑をかけて、仮に小利を得ても、心にそうした行為がもたらす負の痕跡が残れば、それが毒となって、自分を苦しめることにもなる、こうしたことを肝に銘じて、自己を律し、日々の行動を反省することは、自分の人生の質を高めるうえでも大事なように思います。
 

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