見出し画像

上司は鏡

 先日、経営トップが僕ら幹部を信じてくれていない、という一件により、僕の上司も僕自身も、モチベーションが低下しています。

 最終的には、経営トップのためではなく、この組織が社会において求められる、サービスや商品を提供する重要な役割があり、その役割を担い続けるために、自分のリソースを投入する、そうした考えで物事に取り組めれば良いのですが、顔が見える人のための方が、仕事はやりやすいんですよね。

 その最たるものが経営トップであり、この人が実現したいと考えていることは、組織にとっても社会にとっても大事なことだから、その指示のもと、自律的に動いて成果を上げよう、それにより褒めてもらいたいという承認欲求が、組織に属する者の行動においては、根底にあるのではないでしょうか。

 僕にとっての経営トップは、僕自身を映す鏡であり、その鏡はよく磨き上げられていてキズ一つついていない。だから僕のやったことは正当に評価されると信じており、鏡に映る自分を掛け値なしに褒めてあげることはできすため、自己の承認欲求も満たすことになります。

 経営トップに対する信頼関係が揺らぐというのは、この鏡が部分的に割れていたり、曇りがある状態であり、鏡自体の美しさを讃えることもできないし、鏡に自分がまともに映らないので、自分の成果や実績も、映す鏡がないというだけで、急に自信のないものになってしまい、もやもやと、宙に浮いている気分になります。

 かといって、鏡なんてこんなものさと、鏡に期待せず、いわば組織の一員であるためのミニマムの役割を果たすことで、糊口をしのぐ場と割り切る考えるもありますが、
人生のプライムタイムを前向きでなく、下を向いて過ごしているようなもので、よほど思考を飛ばすか、近い未来に飛び立つための、一時的なトランジットのための空港とでも考えない限り、長くその状態で過ごすと、毎日をしのいでいる人生になってしまいます。

 人生の一時期は、そうした、しのぐ「強さ」を求められることもありますが、しのぎ続けて人生が終わるのは、尊厳を持って生きることは難しいように思います。

 確かに完全無欠な鏡など存在せず、その幻想が壊されただけなのですが、鏡自体が自己の創り出した幻想だとすると、完全修復は無理でも、ある程度、自分の姿を映せるだけの状態に戻すことはできます。
 僕の世界にある経営トップのという鏡の材質は、信頼関係であり、信頼関係はコミュニケーションの相互補完により成り立つので、切れた状態で意地を張って待っていても、決してつながることはない。であれば、まずはこちらから相手を信じてみるところから、はじめたいと思います。

この記事が参加している募集

#仕事について話そう

109,959件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?