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夢の中の説明モードから離脱する

 今日は午前2時に起き出して、パソコンを開いています。

 一応、午後10時には寝るようにしているので、4時間以上は寝ている計算になります。まだもう少し眠れるのですが、今宵は夢の中が説明モードのため、それが寝言として発現し、一緒に寝ている家族に迷惑をかけるようで、「うるさい」と言われるため、夢の中から離脱した感じです。

 よく、小さいころに夜中にお漏らしをする子供が、母親に叱られて、今夜こそはお漏らしをしないぞと心に決めて眠りに就くものの、夢の中では、自分が確かにトイレの便座に座っていることを確認し、ああこれなら大丈夫と緩ませた瞬間、目が覚めてアチャー!というのに似ています。

 自分では、夢の中できちんと説明して、役割を果たしているつもりでも、寝床ではただの雑音にしかならない。まあ確かに、いびき軽減のマウスピースも嵌めたまま口を動かしているわけで、まともな言葉が出てくるはずがありません。でも、夢の中なので、このスパイラルからは抜けられない。こうなったら起きるしかないということになります。

 ただ、このところは、こうした説明モードでないときも、薬の切れる夜中に起きだして一仕事終えて、もう一度明け方に1時間ほど眠り、朝の活動に備える、そんなサイクルが出来上がりつつあるように思います。

 こうすることで、朝だけでなく、夜中も活用できるようになる。夜中の活動により、朝の時間の自由度が高まり、睡眠時間さえ確保できれば、これはこれで時間を有効活用できるようになっています。
以前は、夜中や朝方の作業はリビングで行っていたのですが、今の住まいは半分物置になっている部屋が、以前に比べるとスペースが広く、半ば部屋として使えるようになっているので、ここに簡易テーブルとアウトドア用の折り畳み椅子を広げて、落ち着いて作業できるようになっています。

 こういう話、うちの家族は知りません。

 そもそも記事を投稿していることも、娘ぐらいしか知らないし、どんなことを書いているかまでは娘も知りません。

 時間と空間を、常に共有することは、むしろ息苦しいと感じることもあり、かといって、常にどこの時間と空間を訪れても、自分しかいないというのも、寂しいものです。
 ある程度、自分のことを知ってもらいたいし、時間を共有したい、このバランスは人それぞれに尺度の違いがあり、一個人の中でも、時と場合により尺度は移ろい続けるので、どちらにとっても常に都合よく、とはならないのでしょうが、折り合いをつけながら、付き合っていく、これは、他人との間では、普段からやっていることです。

 家族の場合も、「家族」に過大な期待を抱き、甘えすぎると、知らず家族に負担をかけ、不満を蓄積・増幅させてしまうことにもなります。
もちろん、家で緊張感を持って過ごすことを強いられるのは、さすがに疲れますが、多少の緊張感を持ち、ルールを守って生活したり、衝突回避のためのマイルールを設定することは、僕は大事なように思います。

 家族とはいえ所詮、考え方や好みの違う他人ですからね。

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