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民主主義のコスト

 先日、どこかの町議会に小学生が議場見学に来た際、本会議中にもかかわらず、議員がスマホゲームをしているのを見つけ、そのことが感想文に書かれたことで大騒ぎになり、その議員は議会から辞職勧告を受けているというニュースがありました。

 議員として住民から信託を受けている以上、住民を代表して議会に出席している時には、議題を審議するためにも、他の議員の質問や、執行部の答弁に耳を傾けることは、当然のことです。

 ただ、地方議会において、会議での議論に集中するような白熱した討議が、常に展開されているのかというと、そんなことはないように思います。

 何か、地域で大きな事件が発生し、それが自治体の責任に及ぶ話であれば、議会が住民に代わり、行政の対応を追及する、そうした緊張感のあるやり取りもなされるとは思いますが、多くの場合は、地域の課題について、ある程度分かり切っているようなことを聞く程度にとどまり、一人の議員の鋭い質問をきっかけとして、政策が変わるようなことは、ほとんどないように思います。

 また、感染症拡大のときには、多くの議員から似たような質問ばかり出され、行政サイドが答弁対応に追われ、本来の業務がおろそかになるといった話も聞いたことがあります。

 議会で質問者として登壇することは、議員の見せ場であり、話題性のある質問を皆やりたがりますので、同じような質問に集中、担当部門は、事案への対応に大わらわの状態であることに加え、議会の質問への対応にも追われるわけで、こうした場合はむしろ、議員のポイント稼ぎが業務の妨げになっているといっても過言ではないような気がします。

 会議中、他の議員が質問をしている時間というのは、決して質問が飛んでくることのない議員サイドにとっては、ヒマですが、議会に集中していなければならない建前があるため、睡魔との闘いは苦行に近く、しばしば、会議中の居眠りの様子などが、報道されているように思います。

 全国で、かなりの人数の議員と自治体の幹部職員が、あまり生産的とはいえない議会に、年間の相当な日数を、拘束されていることになります。

 いってみれば、会議の参加者の大半に関係のない内容の議論が、延々と行われているわけで、そのうえ、事前通告のない質問が飛び出してくることは基本ない、いわば半ば出来レースの会議でもあります。
 
 そういう、参加者の多くが義務を果たす場としての意義しかないような議会に、年間のかなりの日数を費やすことは、議員報酬とか職員人件費の問題というより、議会での答弁に必要な答弁書作成までの膨大な準備作業を含めると、人的リソースの無駄という気がします。

 もちろん、これを民主主義の必要不可欠なコストと考えることもできますが、投票率の低さを考えると、地方議会、議員に期待する住民は少ないわけで、年に何回も議会を開かなくても、監査的な視点からの開催に絞るとか、やりようがあるように思います。その場合、議員が安定収入がなくなるので、そこが問題なのだろうなとは思いますが。
 

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