見出し画像

遠く姫新線に思いをはせる土曜日

 昨日までの一週間が非常にシビアで、特に昨日は突発的な事態に連続して見舞われ、夜の異業種懇親会への参加も危ぶまれましたが、何とか合流しました。
 ただ、一週間の疲れに加え、昨日も帰宅したのが日付が変わってからでしたので、今日はコワーキングスペースと母親の家でかなりの時間、居眠りをしていました。疲労はそれにより、ある程度回復した感じです。何となく、連続投稿が途切れそうでしたので、何となく写真をアップロードしたのですが、夜になって記事を書く気力が戻りました。

 今日は父の命日で、ただ昨年の一周忌も儀式ばってやりませんでしたので、母と兄弟で墓参りを済ませて食事をして解散しました。

 弟が中国地方に明日以降出張するとのことで、少し時間があるので姫新線経由で向かうとのことでした。
 僕も8年ぐらい前の夏に、神戸に向かうのにサンライズ瀬戸で岡山まで行き、そこから津山線で北上して、姫新線で神戸に戻るという、いかにも乗り鉄的なルートで旅したことがあり、その時のことを思い出しました。姫新線は、その名のとおり、姫路と新見を結ぶ路線ですが、運転系統がいくつかの区間に分かれており、姫路と播磨新宮の間は姫路都市圏としての需要がそれなりにあり、本数も多いですが、播磨新宮から先の大部分の区間は、一日の平均通過人員が千人以下で、昨今のローカル線の協議対象になり得る区間になっています。
 中国地方の山間部の路線は、三江線が廃止になる前に一通り乗りに行きましたが、当時からいつ廃線になってもおかしくないような利用状況にあり、日常の移動手段としての役割は果たしておらず、前途は厳しいように思います。地元から鉄路という見えるかたちで、つながっていることの心理的な安心感のようなものはあるのでしょうが、多発する災害に対しても強いとは言えない状況にあり、安全な運行のためのリソースの確保も難しくなってきています。
 これまであったものをすべて残そうという主張は、今を生きる人たちには口当たりがよいわけですが、未来を見据えた議論にはなっていないような気がします。山間部の、渓谷沿いを縫うように線路が敷かれ、そこを単行で走るローカル線の魅力は捨てがたいものがありますが、年に数回、18きっぷの期間中に乗車するだけでは、コスト的には全然見合わないわけで、そこも踏まえた論議が必要な時期にきているように思います。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?