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頑固親父が施設に入所した 1

今日、親父が施設に入所した。
親父は近所でも有名な偏屈親父で、
親戚及び家族も親父が施設に入所すると言った時に耳を疑った。

しかしながら、当の本人の親父は数ヶ月したら
帰ってくるつもりなのだから、いつまで続くか分からない。

それでも、なぜ、親父は施設入所を選んだのか。
介護職を10年以上経験し、介護離職した
私なりに考察したいと思う。
このルポが家族の施設入所に迷っている人の一助になれば良いと思う

背景

母が3年前に脳梗塞で倒れ、グループホームに入所して以降、父は一人暮らしをしていた。
母は家事全般に加えて、長年船舶に乗っていた父は車の免許を持っていなかったので運転係もしていた。母が倒れてから、足が悪いこともあり、家事はおろか、外出もままならなくなった。
家は荒廃し、仏壇も掃除していると言うが蜘蛛の巣がかかり、湯呑みはカビが生えている状況だった。夏場は暑くなり、新しい扇風機を買ってやったが、使用済みのペットボトルに水を何本もいれ、それだけでは足りず、使用済みの調味料のボトルにも水を入れて、何本も寝床の近くに置くようになった。汚いからやめな、と言っても全く聞かなかった。

自分が支援に入った3年前。多額の税金の滞納が発覚し、国民健康保険が打ち切りになる寸前まできていた。父になぜこうなったのか聞いたが、分からない、お母さんが悪いんだろの一点張りで、全く自分が非がないことを大声で説明した。父は、昔から大声で喧嘩っ早く、酒も弱かったので、それが原因で仕事場をやめて帰ってくることも多かった。

歳をとり、さらに癇癪は止められなくなり、デイサービスで口論となり殴りかかろうとすること2回。相手に怪我を負わせてしまうこともあり、デイサービスに謝りに出向いたこともあった。

私からすると、まさに父は自分のウィークポイントだった。

捉え直した人物像

支援に入って一年目、新潟にUターンしたばかりの時に、どうして親父はこうなのか全く理解できず、おじさんやおばさんの家を訪ね歩いて、父という人間を知ることに時間を費やすこととした。
これは、自分が介護職の時にしていたことで、側面的な人物像ではなく、人間としての全体像を把握することでその人のことを知ることが大切だと感じていたからだ。

そこで、聞いて歩いた父の姿は自分が知る父の姿とは多少異なるものであった。      続く

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