救世主の余命

第2話

 

    翌日、教室に凜の姿はなかった。
 担任の松川によると病院に受診に行っていて恐らく休みだろうということだった。
 思い起こせば彼女は3ヶ月に一度の割合で病院に行っていた。
 ぜん息だと言っていたが、本当は心臓の検査だったのだろう。
 自分の机に頬杖をついて透真はぼんやりと考える。
 昨日はあまり眠れなかった。
 
 ――――私、もうすぐ死ぬの。

 凜の言葉が耳にこびりついている。
 なぜ、彼女がこんな目に合わなければならない。
 問いかけても答えが出るはずもない。
 周りを見渡すと、凜が病院に行ったことを聞いて心配している者はいない。
 皆、凜が体が弱いことは理解しているが、それが命に関わるほどのものだとは思っていないようだった。
 昨日の彼女の口ぶりからすると、凜は心臓のことを誰にも言っていない。
 親友と呼べるほど仲の良いクラスメイトも何人かいるが、彼女達も凜がいないことを大して気にもせず笑い合っている。
 彼女たちは凜が死んだ時初めて凜の病気のことを知るのだろう。
 その時、彼女たちはどう思うのだろうか。
 自分の友達が何も告げずにある日突然この世を去れば、その悲しさは、悔しさはどれほどのものか。

 (俺なら知らせてほしかったと思う)

 横目に女子生徒達を見ながら独りごちる。
 凜が知らせないのは彼女なりに考えてのことなのだろうが、そこに相手のことをどれだけ考えたのか、疑問に思う。

 (俺にできることは…………)

 昨日、深夜まで考えていたが、結局答えは出なかった。

 

    昼休みは簡単にパンを食べて早々に屋上へ出た。
 普段なら同級生とバスケットボールを楽しんだりしていたのだが、凜のことを想うととても楽しめそうにない。
 柵に寄りかかり、組んだ腕に顎をのせる。
 今は梅雨時だが、今日は天気がいい。
 流れる雲を見ながらまたぼんやりと考える。
 
 (結局、知ってても知らなくても俺が高階さんにしてやれることなんてないんだよな)

 そう思うと不意に悲しくなった。
 段々目頭が熱くなってくる。
 もう少しで涙がこぼれそうになった時、背中を勢いよく叩かれた。
 
 「いてっ!」

 乾いた音とともに結構な衝撃が背中に走り、慌てて振り向くと喜色満面の凜が立っていた。

 「やっほー」

 片目を閉じ、警察官の敬礼のような仕草をする彼女を穴が開くほどに見つめる。
 昨日の泣き顔が嘘のようにはつらつとしていて明るい。

 「………休みだと思ってた」
 「わりと早く検査が終わったからさ」

 こともなげに言う。
 検査という言葉にドキリとした。
 心臓は弱ってきていると言っていた。
 今日の結果はどうだったのだろうか。
 凜は透真の胸中を見抜いたようでニヤッと笑う。

 「結果は変化なし。良くはないけど悪くもなってないって。安心した?」
 「いや、安心って……」

 どうリアクションを取ればいいのか分からない。
 そもそもそれが日常生活にどう支障があるのか、なによりどれだけ生きられるのか、そんな疑問が喉から出そうだったが、彼女を傷つけることになりそうな気がして言葉が出ない。
 返事に窮していると凛が不満そうに頬を膨らませる。

 「なによ。昨日の今日で私が休んだら心配すると思って来てやったってのに」

 膨れっ面の彼女が正直可愛いと思ったが場違いなので口には出さない。
 自分のために登校してくれたことにも密かに喜びを感じる。
 そんなことを考えていると、凛が近寄り、息がかかる距離まで顔を寄せた。
 そこで彼女の睫毛がとても長いことを知る。近すぎてどぎまぎしていると、凛が囁くように言った。

 「映画なんかじゃ秘密を知ってから親密になって両想いになるなんてのがあるけど、私にそれ期待しないでね?」

    意地悪く笑う。
 ピシッという、ガラスが割れるような音が透真の頭の奥で聞こえた。
 妙な期待をするなよということらしい。
 昨日振られたことですでに期待はしていなかったが改めて脈なしと分かるとそれはそれで辛かった。
 面白がる彼女はそれからくるりと背を向けて歩き出した。

 「そろそろ休み時間終わっちゃうよ。さ、学生は勉学に励みましょう♪」

 伸びをしながら屋上のドアをくぐり姿を消した。
 透真は背中から柵にもたれかかり盛大なため息を吐く。

 「かなわねえなあ。本当に」

 「ねえ、凜は誰が好き?」
 「この中で?みんな細すぎだもんなー。もうちょっと腕が太くないと」
 「出た筋肉フェチ」
 「ヨンジュ君とか細マッチョやろ?」
 「おー、いいねー」

 教室に戻ると先に帰っていた凜がアイドル雑誌を見せる同級生とイケメン談議に花を咲かせていた。
 最近は韓国のアイドルユニットが人気らしい。
 その中でも凜は筋肉質なメンバーがお気に入りの様だ。

 「でも私はやっぱり久松だなー」
 「誰そい?」
 「やっぱ知らない?日本人初のヘビー級世界チャンピオンが期待されてるプロボクサー」
 「「………」」

 長崎弁で問いかける同級生二人に綺麗な標準語で答え沈黙させる。
 凜は結構コアな趣味を持っているようだ。
 透真はそっと自分の二の腕を見る。
 明らかに細い。これも振られた要因だろうか。
 それにしても、と凜を見ながら思う。

 (思ったより元気だな。なんていうかいつもよりテンション高い気が………)

 昨日泣いていたあの様子からすれば落ち込んでいるのではと予想を立てていたが、彼女はそんなことなど忘れたように明るい。
 無理に取り繕っている風でもなく、本当に嬉しそうだ。
 なにか良いことでもあったのだろうか。
 そして凛はこちらを見ようとしない。

 (今度は避けられてるのか)

 告白する前よりも今の方が彼女に翻弄されている様な気がする。
 教室の壁掛け時計に目をやると始業の5分前だった。
 トイレにまだ間に合うかと思い、教室を出る。
 凛達のはしゃぐ声を聞きながらそっとため息を吐いた。

 「ね、凛今日は機嫌よかね」
 「え、そう?」
 「そう。病院行ったとやろ?大丈夫と?」

 2人の友人、小金井と吉田が凛の顔を覗き込む。
 2人は高校からの友達で、まだ2ヶ月の付き合いだが妙に馬が合ってなにかと一緒にいることが多かった。
 もちろん2人にも病気のことは隠している。
 検査の日は結果がどうであっても自分が人とは違うことを思い知らされてしまい、落ち込んでしまう。
 だからいつもより元気よく振る舞うのが彼女の常だったのだが、言われてみると今日はそんな気負いはなく、むしろ学校に来るのが楽しみだった。

 (そういやなんで?)

 自分の上機嫌の訳を把握できずに頭を傾げる。

 「なんか良いことあった?」
 「うーん」

 小金井に聞かれさらに首を傾ける。
 良いこと.........。
 思案に暮れていると、唐突に思い出し顔を赤らめた。
 目の前を透真が横切ったからだ。
 彼はこちらを少しだけ見て、目が合うと慌てて顔を背け自分の席に着く。

 「…………あぅ」
 「本当にどうしたん?」

 小さく呻く凛に小金井と吉田は顔を見合わせた。

 ――――好きです。付き合ってください。

 昨日の告白が頭の中に蘇る。
 また顔が熱くなってきた。
 断ったとはいえ、彼の気持ちは正直に嬉しかった。

 (そんなに浮かれてたのか私は)

 あれだけ泣いたのに、彼を拒絶したのに、好きな人から告白された事実は現金にも凛の心情を明るくしていたらしい。

 (いかんいかん。上杉君は友達。それ以上でもそれ以下でもない。よし、今まで通りに接するぞ)

    凛が密かに決意した時、午後の授業を知らせるチャイムが鳴った。
 席に着いて、窓際にいる自分の斜め前に透真が座っている。
 彼の後姿を見ながら、また昨日の事を思いだし、心臓が脈打った。
 そこではっとする。
 そう、彼女の心臓はいつその機能を終えるか分からないのだ。
 余命がいつ尽きると分からない自分が彼と特別な関係になってはいけない。
 いずれ来るその期日に備える心構えがようやくできたのだ。
 彼と恋人になってしまえばきっと死ぬのが怖くなる。
 生きたくなる。
 もう、死に怯えて泣き暮らしたくない。
 それが彼女の本心だった。

 


 下校時刻になり、透真は鞄を手に持つとそそくさと教室を出た。
 凛とは昼休み以降目も合わせていない。

 (告白なんてするんじゃなかったな)

 陰鬱な気持ちのまま靴を履き替え校舎を出ると浮かない顔で一人歩き出す。
 彼女に恋心を告げることで逆に遠ざかることになってしまった。
 しかも凛の病気のことまで知り、どうにもできない自分に無力さを感じてしまっている。
 どれだけ考えても、彼女を救う方法など思い浮かばない。
 当たり前だ。ただの高校生にできることなどたかが知れている。
 足取り重く校門を前にした時、ふと思い出し立ち止まる。
 それは突然のひらめきだった。
 これで彼女が喜んでくれるか?
 いや、かえって怒らせる結果になるかも知れない。
 だが、それでも―――――。

 (嫌いでもいいって昨日言ったろ?それなら出来ることはなんでもやってやる)

 透真は心の中で呟くと踵を返し、体育部の部室の方へ歩き出した。

 

◇◆◇


   その夜、凜がスマホをいじっていると透真からメッセージが送られてきた。

『今大丈夫?』

 送られてきた文面に少し気圧される。
 友達のままでいようと言ったのは自分だが、彼の方から連絡を取って来たのは意外だった。
 凜は躊躇したものの結局返事を返すことにした。

『ほいほーい。大丈夫だよ。なにかな?友達の上杉君』

 できるだけ砕けた調子で送る。ついでに『友達』を強調する。
 ちょっと意地悪だったかな、と思ったが彼とこれ以上深く関わりたくないのも本音だ。
 しかし、そのメッセージにもめげず返事はすぐに来た。

 『…………決めた』

 沈黙を表す記号が彼女の皮肉を正確に受け止めた証拠だと物語っている。

 『決めたってなにを?』

 まさか諦めないとか言わないだろうなと心配しているとまたすぐに返事が来た。
 それはまったく予想外の内容だった。

 『俺、ボクシング部に入った』
 「……………は?」

 思わず目が点になり声を漏らした。
 彼は一体何を言っているんだ?

 『………は?』

 そのまま心情を返信した。
 どう返せばいいか分からなかった。
 すると今度は少し時間をおいて返事が返って来る。

 『高階さんボクシング好きだろ?で、やってみようかな、と』
 「いや、意味わからん意味わからん意味わからん」
 『意味わかんない意味わかんない意味わかんない意味わかんない意味わかんない』

 またしても口にしたことをほぼそのままメッセージにして返してしまった。
 事態が飲み込めないまま返事を待ち―――――。
 
 ほどなくして帰って来た返事に息を呑んだ。

 『来年のインターハイに出るから応援してほしい』

 凜はぎゅっと唇を噛みスマホを乱暴に掴んで透真に電話をかける。
 彼はすぐに出てくれた。

 『もしもし?』
 「いきなりなによそれ!」

 夜だということも忘れ怒鳴り散らした。
 
 「振られた嫌がらせのつもり?言ったよね。私はいつ死ぬか分からないの。本当に一ケ月後、もしかしたら明日には発作が起きて死ぬかもしれないのよ?そんな人間に未来の話する?普通。あんたってそうやって人の傷抉って楽しむようなゲスだったの?本当に見損なった!なんであんたみたいなやつ」

 好きになったんだろう。そう思わず口走りそうになったのを寸前で止めた。
 その間を縫って透真の声が聞こえる。

 『…………生きてほしい』
 「え?」
 『来年、俺は戦う姿を君に見せたい。だからそれまで生きて欲しいんだ。そして願わくば再来年も』
 「……………」
 『生きていれば1年後、2年後には君の病気を治せる方法が見つかるかもしれない。可能性はゼロじゃないはずだ。だから君には希望を持ち続けて生き続けて欲しい。これは俺の勝手な言い分だって分かってる。でも、俺は今の君を傷つけても、未来の君が笑っていられるようにしたいんだ』
 「それがなんでボクシングなのよ」
 『君が好きだから』
 「え」
 『ボクシングが』
 「紛らわしい!」
 「もちろん君のことも」
 「あぅ………」

 しっかりとクリティカルアタックを受け赤面した。

 『俺に出来ることなんてこんなことしかない。でも、今の時代、末期がんだって治せるんだ。もしかしたら………。治療費だって募金を募ったり、クラウドファンディングとかで集めることもできるかもしれない。国が高額なんとかって制度で負担してくれるとも聞いたし、諦めなければ方法はあるはずだよ。だから………』
 「生きて欲しいって?」
 『うん』
 「本当に勝手なことばかり言って」
 『ごめん』
 「別に謝らなくていいわよ。勝手にすれば」
 『………』
 「私だって簡単に死ぬつもりもないし。あんたはあんたでボクシングでもフェンシングでもやってればいいじゃない」
 『うん』
 「気が向いたら応援に行ってやるわよ。練習きつくて辞めなきゃいいけどね」
 『絶対にやり抜く』
 「あっそ。精々頑張って」
 『うん、ありがとう』
 「もう切るわよ。おやすみ」
 『うん、また明日学校で』

 そして通話を終了する。
 凜はスマホを放り投げベッドに突っ伏した。
 枕を引き寄せ顔を埋める。
 布がわずかに涙で濡れた。

 「だから誰にも知られたくなかったのになあ。あいつも訳わかんないし。ボクシングと私の心臓と何の関係があるんだっつーの」

 悪態をつきながら口元はわずかに笑っている。
 寝返りを打ち天井を見つめる。
 
 「一年後か」

 呟き、今度こそはっきりと笑顔を作りまた呟いた。

 「生きてやろうじゃない」

 

 
 「怒らせたかな」

 同じようにベッドに寝転がり呟く。
 透真は自分の両手の平を顔の前に掲げる。
 我ながら細く長い指は人を殴るのには向いていなさそうだ。
 だが、もう決めたことだ。
 この決断が彼女にとってプラスになるのかマイナスになるのか分からないが、何かせずにはいられなかった。
 彼女だけに戦わせない。
 その意志だけははっきりしている。
 だから凜には言いたいことを伝えた。
 それが少しでも彼女の生きる材料となればと思ったから。
 ただ、一つだけ彼女に伝えられなかったことがある。
 あまりに恥ずかしくて言えなかったことだ。
 透真はそれをたった一人の室内で独白した。

 「一緒に生きよう」
 
 

  
 
 

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