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軍人小説家

好きな小説家の一人に伊藤桂一がいる。彼の戦記小説は戦争モノに特有の陰鬱さをあまり感じない。ある時はアクション映画のように手に汗握り、またある時は私小説のようで、静かな感動を味わわせてくれる。そして同時に、日本社会について、あるいは日々の仕事について、いろいろと考えるきっかけを与えてくれる。

彼自身、2度召集され、中国大陸に出征している。計7年間、大陸で兵隊をしていたわけだ。最終階級は伍長。物語は事実に即したノンフィクションで、こうゆうものは彼のような元軍人でしか書けないだろう。彼は詩人でもある。

「蛍の河」が有名だが、伊藤桂一ワールドへの導入にはいいと思う。個人的には「大浜軍曹の体験」などがお勧めだが、当時の帝国陸軍の雰囲気や、中国人の気質、あるいは日本軍と中国軍の戦い方の違いなど、現代のビジネスパーソンにはとても勉強になるのではないかと思う。


そもそもマーケティングなど経営戦略というのは軍事戦略を応用したものである。下手なビジネス書を読むより、よほどビジネスの参考になると思う。彼の作品の中には戦闘の経過を事実に即して淡々と連ねた読み物もある。そうゆう意味では軍事戦略本でもある。

 
どのように撤退戦をするのか。一気呵成に突撃するタイミングとは。スパイ同士の交流。彼らを使って相手をいかに撹乱させるか、、、等々。示唆にとんでいる。そして戦記小説は単純に読んでいて楽しめる。展開がまるでアクション映画のようだからだ。伊藤桂一の筆が奮っている。



それにしても無能な指揮官をもった当時の帝国陸軍の兵隊は不幸だった。魚は頭から腐るという言葉があるが、まさにそれである。経営者が無能ならいくら現場の社員が優秀でも、ただ疲弊していくばかりだ。


当時の帝国陸軍の現場の指揮官クラスには、叩き上げの優秀なリーダーがいる。彼らは陸軍大学校を出ていないので出世はできなかった。官僚のキャリアとノンキャリアのようなものだ(つまり今の官僚制度は当時から何も変わっていない)。こうゆう人を幹部に登用していく仕組みは、必要である。彼らはとにかく部下の兵隊を死なせないことを一番に考えていた。当時の大将クラスの指揮官に決定的に欠けていた思想だ。

部下を守ることが、部隊の結束につながり、ひいては少ない出血での、勝利につながる。そして部隊の壊滅的な敗北をふせぎ、戦闘の度に兵隊が成長し、部隊全体のレベルが上がったのだ。これなど、そのまま経営戦略に応用できる。


日清、日露戦争の頃までは、まだ日本にも立派な大将がいた。東郷平八郎(海軍だが)や大山巌、あるいは柴五郎などだ。柴五郎などは、「武器は人を守るためにある、近頃の軍人はやたらと武器を振り回す」と昭和の軍人を嘆いていたようだ。


日清日露戦争も半島への侵略戦争ではなかったのか、というと確かにそうではないとは言い切れないものもある。彼らの中には葛藤もあったのではないかと思う。

しかしながらロシアの南下を防ぐという大義名分がまだそこにはあったのだろう。イギリスやオランダやフランスやロシアなどがアジアを植民地にしようと派兵していた時代である。国を、仲間を守るのだという気概が当時の大将クラスの指揮官の中にはあったように思う。


伊藤桂一の作品の中には、そんな現場の優秀なリーダーが、無能な指揮官に翻弄され、時に反旗を翻し、葛藤に苛まれていく様が描かれている。
そして特に中国大陸での作戦ものの作品には、なんというか、全体的に大陸の牧歌的な空気が流れている。のんびりとした休日には、よい読書体験になるのではないかと思う。
 
 

 

 

 


 
 
 
 
 

 

 

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