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馴染みの店がある生活
「おうやっとうか?」
「まあ、ぼちぼちやれよ」
とその木こりのおいちゃんは、店(本屋)にやって来ていつも偉そうに言った。しかしながら、少しも偉そうにも見えないので、密かに尊敬していた。
おいちゃんと自分とは親子ほど年が離れていたけど、同世代と話しているような感覚があった。
おいちゃんはお得意さんで、時々ふらっと店にやって来ては、本を買ってコーヒーを飲み、タバコをスパスパ吸って、ひとしきりしゃべって帰った。
「昔はこんな本をよく読んだなー」
とか言いながらカントやサルトルなんかをパラパラ懐かしそうにめくっていた。
なんでも高校生の時、図書館の司書の女の子が可愛かったから、本を読むようになったらしい。いろいろ借りて読んでアピールしたと言う。本を読むキッカケとしては、秀逸だと思う。読書は今でも習慣になっているそうだ。
おいちゃんは高校を卒業して、大阪の材木屋に就職したが、西成にいた沢山のホームレス達にびっくりして、なぜ豊かな日本にこんなに貧しい人がいるんだろう、と疑問に思い、勉強しようと思ったらしい。そして大学に入り、その後青年海外協力隊に応募し、アフリカで何年か農業指導をしていたと言う。
読書のキッカケもさることながら、勉強をはじめたキッカケもこれまた秀逸だ。およそ勉強はキライだったらしい。
そしてアフリカから帰国後、故郷の山に戻り、木こりになったというわけだ。
おいちゃんは教員の免許を持っていたので、山仕事がヒマな時は臨時教師として小学校で社会科を教えていた。別の先生のお客さんから、あの人はいい先生だよ、と聞いたことがあった。
授業を受けたことはなかったが、面と向かうと妙に安心する所のあるおいちゃんは、教え方がどうこうというより、人として先生と呼ぶにはふさわしいと思った。なんとなく頼りになる雰囲気があり、ついなんでも話したくなってしまうのだ。
木こりは命がけの危ない仕事だと思う。小学生はそんな人から学ぶことは少なくないだろう。知識よりも大事なことを学ぶのが、小学生時代には必要だと思う。教養ある大人というのは、こういう人のことだろう。知識=教養ではないのだ。
「昔の学校はよかったど、業者呼んで商売してても何も言われんかったからの」
木こりの商売を職員室でしていたらしい。
最先端の働き方をしていたようだ。
おいちゃんは孫にあげる絵本を買ったり、時々仕事で使うと言って、植物図鑑なんかを買ってくれた。そしてコーヒーを飲みながらタバコをスパスパ吸い、ひとりしきりしゃべり終わると、
「まあぼちぼちやれよ」
などと言ってスナックへくり出していった。高校生の時からの行きつけのスナックらしい。まあつまり不良だったわけだが、昔とちがって最近のスナックは若い子がいるから楽しいよ、と言っていた。ここらへんもさすがだ。だから親子ほど年の離れた自分とも話が合うのだ。
それにしても高校生の時からあるスナックが今もあるのはすごい。常連客が付いている、きっといい店なんだろうと思う。
そしておいちゃんもまた、いいお客さんなんだろう。山の手入れをするみたいに、行きつけの店を大事にしているのだと思う。
年をとっても行きつけの店がある生活は豊かだと思う。おいちゃんを接客していると、そのことがよく分かる。なんというか、おいちゃんは来て欲しくなるお客さんだったのだ。
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