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街の記憶

清水屋商店BOOKS vol.12

いま目にしている街の風景。
それは日常であり見慣れた景色であると同時に、その土地の特徴を作り出すおおきな要素です。鳥の目線で言えば、東京はスカイツリーや東京タワーであり、ニューヨークであれば摩天楼、パリは凱旋門といったように象徴となる風景というものがあります。
人の目線では、銀座の中央通り、青山の表参道、浅草の仲見世通りなどその地域を代表するような風景でしょう。

風景の中にはその場所の機能に見合った建造物があり、そこを行き交う人々がいます。そういったいろいろな要素が相まって街の風景が形作られています。

そしてどれかひとつが変化すると、それに合わせて他の物も変化していきます。わかりやすい例として、北陸新幹線の開通や高輪ゲートウェイ駅が上げられます。駅ができたことにより街の風景が一変しました。これは土地の機能が変更されたことを発端に集まる人が変わりそれに付随して建物が変わっていった例といえます。このパターンは街の発展というものですが、その反対もあります。たとえば、大きな工場が撤退したことによりその地域の商業地区が消滅してしまったり、過疎化によって住宅地がなくなったりというもの。こういった事例の極めつけはダム建設で村が水没してしまうことかもしれません。

つまり、街の風景というのは移り変わるということです。ただ、うえで上げたようなものはドラスティックなことであって、レアケースでありその変化が急激で分かりやすいものと言えます。それよりも圧倒的に多いのは長い時間をかけて変わっていくことでしょう。


日本での時代感覚として、江戸時代、明治時代、戦前、高度経済成長時代、それ以降というざっくりとしたものがあるように思います。考え方はいろいろあり、どれが正解というものもではありません。あくまで僕個人の中にはある区切りです。
この区切りについての明確な根拠はないのですが、区切りの基準として社会ステムや経済システムの変更のタイミングが関係しているように思います。
封建制から立憲君主制へ、軍国主義から自由主義へ、高成長経済から低成長経済へといった感じでシステムの変更が時代の区切りになっているように思います。この中で僕が体験しているのは「それ以降」の時代です。わかりやすく言えば、バブル崩壊後の世界。失われた時代と言われたりもしています。この大きな流れの中で今を生きているわけです。
ただ、高度経済成長からそれ以降に関しては、江戸から明治や戦前から戦後のような天地がひっくり返るような変更が行われたわけではありません。むしろベースは同じなので、大きくは戦後以降の世界と括ることができるのかもしれません。


ここに2冊の本があります。


『GINZA TOKYO 1964』
 著者:伊藤昊
出版社:森岡書店 (2020/5/11)
価格:税込6,050円
GINZA TOKYO 1964 | 森岡書店 総合硏究所 (moriokashoten.com)


『東京タイムスリップ1984⇔2021: Tokyo Time Slip 1984⇔2021』
 著者:善本喜一郎
出版社:河出書房新社 (2021/5/22)
価格:税込2,002円
東京タイムスリップ1984⇔2021: Tokyo Time Slip 1984⇔2021 | 善本喜一郎 | Amazon


『GINZA TOKYO 1964』は銀座一丁目にある森岡書店という「一冊、一室。」をテーマに1冊の本を売るという風変わりな本屋から2020年に出版された写真集です。
著者である伊藤昊(いとう こう)はこの写真集が出されるまで誰も知らない存在でした。なぜなら2015年に亡くなられるまで写真集を出版したこともありませんでしたし、なにより写真家としての活動を30代で辞めてしまったためです。この写真集は、彼が21歳の頃に撮影した銀座の風景をまとめたものです。その年は1964年であり、初めて日本でオリンピックが開催された年として記憶されています。戦後からの脱却と経済成長の象徴としてのオリンピックであったと語られるとおり、1964年は日本のもっとも活気のあった年と言えます。その年に銀座を描写するように、伊藤昊はシャッターを切っていたのですが、そこに収められているものは熱気や熱狂とは異なるもの。むしろそういったものの影になっている部分を捉えようとしていたように感じます。もし、彼が表には裏があるという思いを持っていたとするのなら、それは成功しているように思います。なぜなら、それは60年以上たった2021年にこれを見て、その時代の影や暗さを感じ取ることができるから。専門的なことや技術的なことを抜きにして、時代の記録としての価値が十分あると思います。

もう1冊は、2021年に出版されたばかりの本です。河出書房新社は明治時代から続く老舗出版社で、文芸のイメージが強い出版社のひとつですが、幅広いジャンルを扱っている総合出版社でもあります。オリンピックつながりで言えば、昨年末に『オリンピックデザイン史1896―2020』という4万円もする本を翻訳出版しています。
この写真集は著者である善本喜一郎が24歳だった1984年に撮った東京を左ページに、2020年(一部2021年)にまったく同じ場所を撮った写真を右ページに配置し、見開きで見比べることのできる構成になっています。

奇しくも1964年の21歳の伊藤昊、その20年後の1984年の24歳の善本喜一郎という若者の眼を通して切り取られた東京の風景が本になっています。これは偶然の産物ですが、22020年と2021年に相次いで出版されたことには何か意味があるように感じます。これは憶測ですが、2020年のはじめの誰もいなくなった渋谷や銀座の風景やマスクが行きかう光景を目の当たりにしたときに、何かしらのかたちで街というものを意識したのではないかと思うのです。それは街というものを通して時代の空気を感じたのかもしれないし、街という存在そのものだったのかもしれません。


『GINZA TOKYO 1964』は巻末に当時撮影された場所の今の所在地が記載されています。その調査を行った森岡督行さんは、その特定作業はとても難しかったと言います。それだけ60年前の風景が失われていたということなのでしょう。『東京タイムスリップ1984⇔2021』を見ても、この40年でも風景が様変わりしているところばかりです。

2つの写真集を見ていると、見慣れた風景と思っていても、その風景は少しずつ変化していて、知らぬ間にまったく違う風景になっているということです。さらには変わっていることに気づかないまま、更新されていた風景をいつもの見慣れた風景として認識していることにも気づきます。
何気ない変化だけあって、それに気づくのも会話のちょっとした拍子やふとしたときが多いように思います。そういうとき「この新しいビルの前はなにが建っていたんだっけ?」という感じで、かつての景色をまったく思い出せないということになりやすいように思います。そういうときは、かつてそれがあった場所で痕跡を手掛かりに過去の風景を思い出そうとするよりも、なぜかそこであった出来事の記憶を蘇らせるようにするとディテールまで思い出せるような気がします。そう考えると、ふだん目にしている風景なんて、見ているというよりも感じていると言うほうが良いのかもしれません。

そういったあいまいな記憶や感覚よりもこの2冊のような写真としての記録を写真に収めておくということは意義深いと言えます。


最後に時代感覚という点では、高度経済成長のあとに2020年以降という新たな区切りが作られることになるのではないでしょうか。そんなことを思いながらこの2冊を眺めることは今しか味わえない鑑賞方法かもしれません。

おわり

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