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「豆腐はどこで買う?」

清水屋商店BOOKS vol.11

日本に住んでいて「豆腐」を知らない人はいないでしょう。あの白くて四角く柔らかい食べ物は子どもから老人まで広く食されています。

ひと言で豆腐と言っても、絹ごし、木綿、寄せ、おぼろ、湯葉、油揚げ、豆乳と種類がたくさんあります。料理になれば、冷奴、湯豆腐、マーボー豆腐、田楽、さらには豆腐ハンバーグや豆腐ステーキなんていうものもありますし、みそ汁の具の定番です。

言葉としても「豆腐に鎹(かすがい)」や「豆腐の角に頭ぶつけて死ね」なんて表現がありますね。ちなみに前者は手ごたえのないことのたとえとして、後者は冗談を真に受けてしまうような真面目な人を揶揄する表現です。どちらもあまりよい意味ではありませんが、日常の会話には白さや滑らかさ、やわらかな様子を表す例えとして「豆腐のような~」って言うことも多いですね。

奈良時代に中国から伝来した豆腐ですが、日本のソウルフードと言われるくらい世界的にも知られています。その認知度と独自性は「TOFU」が共通語になっていることでもわかります。私たちがいま食べている豆腐は江戸時代に庶民に広まったようです。その証拠に江戸時代中期の大阪で『豆腐百珍』という料理本が出版され、大ベストセラーになったという話があります。この頃にはすでに100品もの豆腐料理があったということわけです。

ちなみにこの本がベストセラーになった理由はいくつかあったようで、たとえば100個のレシピを「尋常品」「通品」「佳品」「奇品」「妙品」「絶品」の6つにランク付けしていたことや、日本初の一般大衆向けの料理レシピ本であったことがあるそうです。本屋に行けば、かならずレシピ本コーナーがあるくらい家庭向けのレシピ本が世の中にあふれていますが、その原点が豆腐料理の本だったということは興味深いです。

さてそんな豆腐ですが、いまはコンビニでも売られています。スーパーの価格帯としては100円台が中心でしょうか。特売だと100円を切るものもあるようです。いくつかのデータから豆腐の現状を見てみます。

「家計調査(二人以上の世帯) 品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市(※)ランキング(2018年(平成30年)~2020年(令和2年)平均)」というデータから、豆腐の年間消費量は平均で83丁ほどです。1週間に1~2丁の計算ですから、けっこうな頻度で食されていることが伺えます。また2000年以降の動向をみると、豆腐の単価が下がるのに反比例して購入量が増加しているデータもあります。これは近年の健康食品として注目されている影響もありそうです。

いわゆる豆腐屋さんというのは「豆腐製造事業所」という名前が正式名のようですが、事業所数について2019年の日経新聞が取り上げられていました。その記事によると、2018年3月末時点で6,563か所。10年前(1万1839か所)から半減とあります。ピークは1960年代だったようで、そのピーク時と比べて10分の1の水準になっているようです。
先ほど消費量がそれほど落ちていないと言いましたが、ここから読み取れるのは機械化とメーカーの淘汰が起きているということでしょうか。もちろん、高齢化と後継者不足が大きな要因であることは言うまでもありません。とにもかくにも全国で急激に豆腐屋が消えていっていることは事実のようです。じっさい都内の豆腐屋を覗くとたいていの場合、老夫婦が営んでいることに気づきます。

豆腐はよく食べられているのに豆腐屋は減っていっているというのは大きな矛盾のように感じます。この要因は作り手というよりも使い手である消費者の側にあります。それは単純な話で「豆腐」を豆腐屋ではなくスーパーで買うようになったから。
この傾向は地方のほうが進んでいるように感じます。60年代のモータリゼーションと流通革命によるスーパーの台頭を経て、ショッピングモールの出現と隆盛がもたらした現象ではないでしょうか。大量生産・大量消費は商品の品質の安定と低価格をもたらしましたが、その代償がないわけではない。
80年代以降、生産製造の基準は全国に流通させることになったように思います。その規模やスピードに見合うだけのコストと規格であることはもちろん、品質の安定性や耐久性が重要であり、それに見合わないものは切り捨てられてきました。それは家内制手工業から工場制手工業への展開でもあったわけですが、豆腐のような加工食品をはじめ農産物にも起きていたのでしょう。

近年ではその全国流通システムの維持が負担になっていて、さまざまな業種で事業維持や継続がむずかしくなってきているようです。その素地として縮小前提の経済ということがあります。長期的な人口減少が確定している市場では、グローバル企業を目指さない限り成長戦略は描けません。国外に飛び出して、新たな供給先を見つけない限り先細りするしかないわけで、その新しい供給先というのはアジアやアフリカなどの地域だと言われています。わかりやすく言えば、すべてが自動車業界のような体制をつくらなければ生き残れない状況というわけです。でもすべての分野や商品がそうなれることはなく、むしろそれが可能なものは限られていると思われます。賞味期限のあって低価格の豆腐がグローバル化できる可能性はきわめて低そうです。それでも可能性があるとすれば、世界中の街に豆腐屋ができて、地産地消されるということくらいではないでしょうか。
そうなると、以前のように個人事業として豆腐を供給することが求められるということですが、豆腐屋が激減していることを考えるとむかしの転換期の反対を実現するのは困難のように感じます。
ではどうなるのか? 
ちょっと想像してみると、たとえば「豆腐」が高級品として1丁10,000円くらいでデパートに木箱入りで売られるとか、または日本の伝統文化として保護され、数名の職人が山里の小屋で年に数丁の豆腐を作り上げ、それが神社に奉納される神事になるなんてこともあるかもしれません。


さて、今回紹介するのは1冊の本です。


『まいにち豆腐レシピ』
 著者:工藤詩織
出版社:池田書店 (2020/11/4)
価格:税込1,320円
まいにち豆腐レシピ |本 | Amazon


池田書店は戦後に設立された老舗の出版社です。囲碁や将棋の本でご存じの方が多いかもしれません。最近では「マンガでわかる」シリーズが人気の出版社です。
著者の工藤さんは大学時代に豆腐マイスターを取得し、豆腐の普及活動をやってらっしゃる方です。幼少期から白米よりも豆腐ばかり食べていたという筋金入りの豆腐好きで、全国各地の豆腐屋に足を運び、取材や執筆をやられています。そんな工藤さんの初の著書であるこの本。タイトルから豆腐のレシピ本にしか見えませんが、中身を見るとレシピ半分、知識や歴史半分といった感じで、どちらも楽しめるものです。

僕は仕事などで各地に行くと地元スーパーを覗くようにしています。地元スーパーって地域色が濃く、特に日販品コーナーは消費期限や賞味期限の関係もあって、地場産のものが多く扱われているように感じます。そういうところを観察すると、一味違う地域性を知ることができます。これは僕の主観ですが、その中でもダントツに地元色の強いものが豆腐ではないでしょうか。不思議なことに、地域ごとにメーカーが異なっていますし、絹と木綿の割合も違うし、油揚げの大きさもそれぞれです。なぜそうなのか、その理由がわからず、ずっと疑問に思ってきました。

同じ大豆製品でも、醬油や味噌はナショナルブランドが大半を占めていて、全国津々浦々同じものが並んできます。冷ケースの中でも納豆も全国区のブランドが幅を利かせているのに、なぜか豆腐はローカルのメーカーしかないのでしょうか。つまるところ、全国をカバーするメーカーがないということなのですが、問題はなぜそうなっているのかです。

その謎を解決するべく、この本の著者である工藤詩織さんにコンタクトをとったことが事の始まりなのですが、僕が想像していた以上に奥深い世界に触れることができました。
工藤さんは豊富な知識となによりも豆腐への深い愛情と情熱をもっている方ですが、そこに留まらずに豆腐の普及のために多くの活動されているところが彼女を唯一無二の存在にしているように感じます。

話をお聞きしたことでたくさんの発見がありました。
豆腐はもともと家庭で作られていたものでハレの日の料理だったこと、北は北海道から南は沖縄まで、地域ごとに郷土の豆腐と豆腐料理があることなどは実地で調べないとわからないことで、彼女の豆腐に費やしてきた時間と労力によるものだと思います。もちろん豆腐屋の現状についても把握していて、現状を食い止めるべくいろいろな活動もされています。
中国地方にある山里でおばあちゃん3人が始めた豆腐屋の顛末や東京で豆腐屋がなくなってしまった隣町まで自転車で行商を始めた豆腐屋さんの話などはフィールドワークの賜物と言えます。
暮らしの中の豆腐ついても教えていただきました。
たとえば、江戸時代から銭湯と立食い蕎麦と豆腐は価格の優等生として言われていて、庶民の暮らしを支えてきたそうです。でも昭和中期から銭湯も立食い蕎麦も価格が上昇していく中で豆腐だけが値ごろな価格のままだという話は興味深いです。
たしかに今や銭湯は娯楽施設化し入場料が3千円することも普通ですし、昔ながらの銭湯でも500円くらいはしています。立食い蕎麦に関してもやはり500円くらいです。そう考えると、いまでも豆腐が100円~200円で売られていることは不思議です。価格の上昇要因は人件費と材料費の高騰が相場です。豆腐は水と大豆とにがりだけで作られます。考えられるのは大豆の価格ですが、世界的に見ても大豆価格は2000年以降つねに上昇しているようです。国産大豆についてはこの2年で大幅な価格上昇が起きて高止まりしているというニュースを目にしました。

国産大豆は食用として豆腐、納豆、醤油、味噌、きな粉と多様に使われていますが、その60%近くは豆腐に使われています。そうなると国産大豆の価格は小売価格に直撃しそうなものですが、豆腐が値上がりしているという話は耳にしません。このあたりのことを工藤に訊くと、それは個人経営が主要の業界であることが関係している可能性があるということです。仮に地元スーパーに卸しているのであれば、スーパーが値上げを認めないことは容易に想像がつきますし、個人による交渉は限界があるでしょう。また地元住民に商売をしているのであれば、なお値上げしづらいと思います。さらには職人気質もあるのではとも言います。豆腐職人という言葉があるように、水と大豆とにがりという最小限の原材料で作られるということは、あとは作り手の工夫や技で違いを出す世界だと言います。職人というからにはおいしい豆腐を作ることが一番大切なことになり、儲けは二の次になるということなのかもしれません。ちなみに最初の疑問についての明確な理由はないようですが、この職人意識が影響しているとは言えそうです。

豆腐屋と言えば、夜明け前から作り始めて早朝からお店を開ける印象があります。実際にそうらしいのですが、その理由はいくつかあるようです。その理由の中でも、僕は次の2つのものが好きです。
ひとつは邪魔されないためというもの。豆腐づくりは2時間かかるそうです。しかも一度始めてしまうと中断することができず、時間との勝負であり高い集中力が必要だそうです。だからまだ寝静まっている時間帯に作る。たしかに夜明け前後であれば、お客が来ることはないし、近所の人が回覧板を持ってくることもありません。当然メールも電話も来ないわけですから一日の中でもっとも邪魔されない時間帯だと言えます。
もうひとつは出来立ての豆腐や油揚げを朝食に食べてもらいたいためというもの。僕はまだ出会っていませんが、出来立ての豆腐と揚げたての油揚げのおいしさは格別だと食べた人が必ず言うくらいです。それを食べてもらいたいという思いはまさに作り手の心意気だと思います。

夜明け前、工場の明かりの中でたくさんの水と大豆と黙々と格闘している姿。
そして澄んだ水の中に沈む出来立ての豆腐。

そんな光景を想像すると、機械化されて大量につくられる豆腐よりも、そうやって人の手で作られた豆腐を豆腐屋で買って食べるほうがおいしいように思えてきます。しかも値段が100円も違わないとなれば、どちらが価値の高いものなのかおのずと見えてきます。
ひとむかし前、いたるところで鍋を片手に行商に来た豆腐屋の豆腐を買う姿がありました。いまでも住宅地に入るとそんな光景を見かけることがあります。こういうことは昭和ノスタルジーとして語られてきましたが、あらためてそこで交わされている会話に耳を傾けると、それはコミュニティのありようそのものであり、いま求められている関係性であることに気づきます。その光景は失われた懐かしむものではなく、いま求められている最新のコミュニケーションです。

そして工藤さんはパン屋と豆腐屋はとても似ていると言います。
たしかにパン屋も夜明け前から作り始めて、早朝からお店を開けていますし、パン職人という言葉もあります。価格も似ています。
それでも大きな違いがあって、それは買う側の意識だと言います。パンは地域のお店のもののほうがおいしいことも焼き立てが一番おいしいこともよく知られています。数年前から定期的に雑誌で特集が組まれていることからもその人気の確かさを感じます。
パン屋はそれぞれに個性があって、クロワッサンひとつとってもお店によって味が異なることを理解されていますし、自分の好みに合うお店を見つけることも楽しまれています。一方、豆腐についてはどれも同じと思っていて、だから値段が判断材料になっているのではないかと工藤さんは言います。
これは僕自身に当てはまることで、これはまさに盲点でした。
冷静に考えればすぐに気づくことなのですが、なぜかパンはパンで豆腐は豆腐と思考が連動しない。理由はわからないのですが、なんとなく西洋のものをありがたがり、旧来のものを下に見る日本人特有の精神構造が影響しているのではないかと思わざるを得ないです。
簡単にいえば根拠のない偏見ということですが、明治以来の呪縛が生き続けていることにすこし驚きます。

豆腐はそのシンプルな原材料ゆえに作り手の個性が強く出るそうです。だから同じ豆腐はないと言いますし、極端に言うと毎日味が変わってしまうくらい繊細なものだそうです。工藤にお会いしてから、僕も目にした豆腐屋で豆腐を買うようになりましたが、たしかに固さ、濃さ、舌触りはすべて違うように思います。実際に豆腐屋さんと話すと今日の出来はよいとか大豆を変えたといったことを聞くので、むしろ同じものを作れることはないのかもしれません。

工藤さんは、おいしい豆腐という考えよりも自分好みの豆腐を探す考えの方が豆腐を楽しめるという提案をされています。それは用途に合わせる意味もあるそうです。ちなみに近くに豆腐屋がなくスーパーでしか豆腐が手に入らない場合は、消費期限と賞味期限の表記を見るようにするとそれぞれに楽しめるそう。消費期限表記の豆腐は熱処理をしていないので大豆の味がしっかり感じられるものが多く、賞味期限表記の豆腐は最後に熱処理をしたものが多く、その場合は大豆の味が強くないそうです。熱処理とはパックした後に加熱殺菌をすることで、それにより細菌の増殖を抑えるために日持ちするそうです。その代償として大豆の風味が損なわれてしまうそうです。これを知っているだけでも、これから豆腐コーナーの見方が変わりそうです。


最後にご案内。東京の西荻窪にあるBREWBOOKSという本屋さんで豆腐のトークをやりました。『まいにち豆腐レシピ』の工藤さんと女性二人で営む西荻窪の豆腐店「まめなとうふ店」の堀井さんと桑原さんをゲストに豆腐のこと、豆腐屋さんのことをたくさんお話していただきました。今回はイベント企画と司会、さらには動画編集までやっています。90分の長編ですが、ご覧頂けたらと思います。
そして、週末には散歩ついでに近所の豆腐屋で豆腐を買って帰ることをおすすめします。なんだかのんびりした時間で心地よいですよ。

【BREWBOOKSトークイベント】
これからの豆腐屋の話をしよう – BREWBOOKS

おわり

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