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自己肯定感について

「自己肯定感」とか「承認欲求」なる言葉が普通に言われるようになった。そして自分をようく振り返ってみると自己肯定感は年代によって違っていた。

今でも、そして恐らく仕事を始めてからずっと、自己肯定感がかなり強い方だった。自分はすごく仕事が出来るし、周りが全部馬鹿に思えた時代もあった。そして外交的であることの優位性をことさら信じて、外交的、社交的、コミュニケーション力高し!を実践してきた。謙遜なんて言葉は自分の辞書にはなかった。

そして突っ走った20、30、40代。

50代手前になって、ふと思い出した。自分の幼少期を。

私の誕生日は4月1日である。いわゆる早生まれにはいってしまう。故に小学校に入学したときには、先生・親双方から「1年の差は大きい」と言われ続けた。思い起こすと、幼稚園の頃から何もまともに出来ない子だった。着替えも遅いし、給食を食べるのも遅い。そして小学校に上がれば、周りはお兄さんお姉さん的な人ばっかり。授業も何を言われているのかすらわからない。そしてそのわからないのは年齢のせい、と言われ続けた。そして自分もそれで納得し、自分は人より出来ないのが当たり前、という概念が植え付けられた。

小学校時代は常に、勉強、スポーツ、工作、音楽、友達作り、この全てにおいて苦手意識があった。しかも自分はできなくて当たり前、「だってなにも出来ない子だから」とホンキで思っていた。夏休み用に育てる朝顔、夏休み前に芽が出て、それを夏休みに育てて観察日記を書く、というイベントが何回かあった。菊の花を育てて、卒業式に並べる、というのもあったが、朝顔の芽は出たことがなかったし、菊も芽が出なかった。でも、私自身は達観していて、「そうだよね、私のが咲くわけない」って思っている子だった。どんな子でも1つくらい取り柄がある、って言われている。でも私の小学校時代は全部ダメだった、というか今で言う自己肯定感が低すぎて自分を否定し続けていたんだと思う。しかも超内向的であったから友達もたくさんは出来なかった。ある日、母が女の子らしい可愛い洋服を買ってきてくれた。普通なら喜んで学校に来ていくんであろうが、私がこんな可愛い服を着るなんておこがましいし、だれかになにか言われるのが恥ずかしい、と思い、母をがっかりさせたことがあった。

そんな6年間を過ごした。転機は中学生時代。「英語」という教科が加わった。今まで学んだことがない教科であり、小学校1年生から皆から遅れている子と思っていた自分だったが、他の子も一緒にスタートする数少ない教科。親は心配のあまり、私を英語塾に入れた。恐らくその塾が合っていたのだと思う。そして私は英語に目覚めた!猛烈に勉強した。そうするうちに「勉強の仕方」というものがわかってくる。自ずと違う教科も少しずつであるが成績が上がってくる。まあ、どんなに上がると言っても最低レベルからなので、中くらいまで行ければ上等な感じだった。ただ、英語はクラス1番どころか、学年で1番であった。そのあたりから自己肯定感が少し向上してきたと思うが、それでもまだまだだったであろう。

そして、高校生、普通だった。内向的だったので相変わらず友達作りは下手だったが、何も出来ない「私」は小学校に置いてきていた。

その後、社会人になって学校で学ぶこと以外にも学ぶことがあり、評価される軸があるんだとわかったときから、自己肯定感が強くなった。いや、今振り返るとむしろ無理やり思い込ませていたんだと思う。そして、約30年、思い込みとは怖いもので、自分の性格は外交的、自己肯定感が強い、メンタル強い女性!そして何でも出来る!とホンキで思っていた。

でも、40代後半になって、ふと何かしらの違和感を感じるようになった。「なんかつらいなぁ〜」と感じることも多くなった。その原因をひたすら探った。

30年なんとか騙し続けていた私の本来の性格!「内向的」!内向的であることを認めてあげて、そんな自分を許してあげたら、すごく楽になった。外交的な人のほうがいい!という馬鹿げた思い込み。ただ若い私には必要なスキルだった。今は無理に外交的を装うのは辞めにした。もちろん、まだ社会人なので、必要最低限だったり、人を不愉快にしない程度には外交的を装って入る。でも無理はしない。そして私が内向的であるということを認めてくれるのは旦那だけで、「内向的なんだよ、ホントは」、と長年の友達に話しても、「またっまたぁ〜」と笑われてしまうが。

ただ、内向的な自分を許しても、自己肯定感は相変わらず高く、「自己肯定感が低い人に〇〇」という記事を読んでも、ぴんとこなかった。

「なんにも出来ない自分」→「何でも出来る自分」→「出来ないこととできることがある自分」

と変わってきた。今は高いと信じている自己肯定感も、実は低いのではないか?とも思っている。年令を重ねて「出来ること」と「出来ないこと」の区別がはっきりして、あえて「出来ないこと」にはチャレンジしないし、その時間もないと思っている。この「出来ないこと」に関しては驚くほど自己肯定感が低い。

ただ今からは「出来ない」と思い込んでいることのうち、ほんとはやりたいのに出来ないと思っている、ことを見つけ出せたら、面白いかもしれない。それが60歳からの課題になるやもしれない。

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