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楽しかったことしか記憶に残らない?は嘘。

〜人間は楽しかったことは記憶に残るが辛かったことは忘れることが出来る、だから生きていけるんだ!〜
という人もいる。
不思議なのは、私は就学前〜小学生ぐらいまでの楽しかったことはそれほど思い出せない。嫌だったこと、辛かったこと、悲しかったことばかり思い出す。ただ、感情が揺さぶられるというより、淡々と「そんなこともあったなぁ」的に思いだす感じ。だからといってものすごく特別不幸だったとも思わない。

内向的だったなぁ、と思い出すのは小学3年生の頃、担任の先生がお休みした。恐らく1〜2日ではなく1−2週間単位だったのではと思う。若い生徒に近い感じの女性の先生だったので、得に女子に人気が高かった。そこでクラスの今で言うカースト上位にいる子達が「先生のお見舞いに行こう」と盛り上がった。「私も行きたーーい!」とか「〇〇ちゃんも行く?」と言う声があちこちに聞こえてきた。私も行きたかった、すごく行きたかった。でも内向的過ぎたのか自己肯定感が低すぎたのか、もし私が行きたいと言って皆が嫌な顔したら、とか誘われてないのに行きたいっていうのは、、とか。結局、お見舞いには行かなかった。休み時間のゴムとびも、「私も入れて!」とは言えなかった。運動が苦手な私は、私が入ることで迷惑をかけるのではないか?という恐怖が大きかった。ただ、誘ってもらえたら入っていただろうが、私を誘いたいと思う女子もいなかった。

好き嫌いが多く、給食が食べれない子だった。そして私の時代は食べるまで帰れない、という時代。5、6限目の間、その食べれない給食を床に置いて、授業を受ける。もちろん休み時間は遊びにはいけない。
そして、授業が終了したら、そのホコリだらけになった給食を机に戻して、にらめっこ!そして暗くなって、先生が帰っていいと言うまで座っている。暗くなって泣きながら家に帰っていた。
だから1ヶ月の給食メニューが発表され、嫌いなものがある日は数日前から、いやその給食メニューが発表になった日からずーーーっとブルー。まあ、好き嫌いが多くてほぼ毎日何かしら食べれなかったので、ほぼ毎日残っていた。
給食で好き嫌いを克服した人っているんだろうか?私は50代になっても、この頃嫌いだったものは今でも食べれない。

家庭環境もちょっと違っていた。いわゆる母子家庭であるが、今でこそ珍しくないが、50年前の地方では珍しかった。そして母はお酒を飲まなければ愛情深い勤勉な母であったが、お酒を飲むと「とことん!」という人だった。決して依存症とか酒乱とかDVとかそんなことはなかった。ただ帰ってこない日もあった。今のように携帯で連絡とかもないので、ひたすら空腹をこらえて帰りを待っていた。特に困ったのは次の日にお弁当を持っていく日、その前日に帰ってこないとほんと困った。とりあえず、朝起きてまだ帰っていないと机にメモを置いて学校に行った。そうするとお弁当の時間くらいにお寿司の折り詰めをもってやってきた。それもちょっと遅いので、みんなが心配して自分のお弁当を分けてくれようとする、惨めな気持ちに拍車が掛かる!しかもHSPなので人の握ったおにぎりが食べれない、人が作ったものが一切食べれないから益々困る。

また、早くに若くして離婚している母はおそらくモテたんだと思う。数年単位で彼氏がいた。しかもお見合いもしていた。そして家にその人達が出入りする。入れ代わり立ち代わりということではなく、1人が終わったら次にまた、という感じ。今思えばすごくまっとうではあった。ただ、家にその人達がやってくるのは本当に嫌だった。なぜなら、そう!来ると必ず宴会が始まる、呑みが始まる。そうすると正体もなくベロベロになるまで飲んでいる母親を介抱しないといけなくなる。一度は自殺未遂があった。多分、本気ではなかったと思う。ちょっと喧嘩したぐらい。夜中にガス臭くて目が覚めた。ガス栓を締めて窓を開けて換気をしてまた寝た。翌朝、その母親に出された朝食を食べながら、母親が聞いた。

母親「おいしい?」

私 「うん、おいしいよ。」

母親 「そう、死ななくてよかったね。」

と半笑いで言われた。

もっと複雑な家庭環境の場合、母親の彼氏にDVされていたとか、あるだろうが、うちは一切そういうことはなかった。


ゆえに、私はすごく不幸だったとは思わないが、こういったちょっと嫌なこと、自分が内向的であったがために出来なかったこと、ちょっと変わった家庭環境のためしてもらえなかったこと、そんなことばかり思い出す。小学生らしい遠足や運動会が楽しかったなんてことは微塵も思い出さない。内向的すぎて友達があまりいなかったので、遠足とかそれほど楽しくなかったし、運動会に至っては、体育が苦手、そして、お弁当の時間になると、田舎の場合、家族の人数が多いので、祖父母・親戚等少なくとも皆10人以上が敷物を広げておにぎりを食べている。私は母一人。それが申し訳ないが、なんとなく惨めで嫌だった。
不思議なことに父親がいない寂しさとか、それはいっさいなかった。父親じゃなくて母親の友達でも良かったんだと思う。

自分で書きながらも、なんだか中途半端なエピソードである。ただ、本当に楽しいことが思い出せない。写真を見ると旅行も行っているし、海水浴も行ってたりする。サンタクロースは来なかったが、恐らく何かしらプレゼントはあったはず。

なのに、嫌だったことばかりが最初に頭に浮かぶ。

だから、人間は嫌なことは忘れるというのは嘘だと思う。ただ、思い出した時に心が痛くなるようなことは時が解決してくれたんだと思う。今は単なる事実としての記憶。


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